SONGSスペシャル・宇多田ヒカルの言葉
お正月の再放送を録画して、やっぱり何度見ても素晴らしかったので、備忘録的にその言葉をいくつか書き留めておきます。彼女が紡ぎ出す言葉が、心の深い部分をえぐっていく感覚があって、泣けました。
以前の記事はこちら。
母・藤圭子の死について
あらゆる現象に母が見えてしまった時期があったんですよ、関係ない事象でも。うわーつらいなー、やだなー、それってなんなんだろうと思ったんだけど、結局誰しも原点があって、私の原点は母だと。私の世界、あらゆる現象に彼女が何かしら含まれるのは当然じゃんと。私の体だって親からきてるものですから当然か、と思えるようになって。それまで悲しいと思ってたことが急に素晴らしいことだなと、それを感じられるようになったんだから素晴らしいことじゃないかと思ったんですよ。
亡き母に伝えたいこと
もし母が亡くなった後に妊娠していなかったら、今もし子供がいなかったら、たぶんアルバム作ったり仕事始めようと思えてないと思います。
自分が親になると面白いなと思ったのは、自分の子供を見てて、生まれて最初の体験とか経験で、一番人格の基礎となるものとか世界観とか形作られていくじゃないですか。なのにその時期のこと、自分は完全に忘れてるってすごくないですか?つまり、すべて無意識の中にある、闇の中にあるみたいな。それをみんな抱えて生きていて、そこからいろんな不安とか悩みとか苦しみが出てくると思うんですよね。なぜ私はこうなんだ、なんでこんなことをしてしまうんだとか。自分が親になって自分の子供を見てると、最初の自分の空白の2、3年が見えてくる。ああ、私こんなんだったんだな、こんなこと親にしてもらって、こんな顔してて、というのが見えて、それって結局親に対する感謝とか、自分がどこにいるのかがふわっと見えた瞬間という感じで。ずっと苦しんでいた理由みたいな、わからない、なんでこうなんだっていう苦しみがふわっとなくなった気がして。それこそいろんなものが腑に落ちるというか。
子は、永遠に母の一部
母が亡くなって10年以上経っても、いまだに母を思わない日はない。今でこそ辛いばっかりじゃなくて温かい記憶でもあるけれど、後悔や淋しさは消えることがなくて、その気持ちはずっと抱えていくしかないと思ってきた。
でも、そうじゃない。私は今も母の一部。だから、あらゆることが母につながっている。私が生きているから母は今も私の中で生きていて、それは記憶や意識の中だけじゃなくて無意識のレベルにも深く存在しているし、極小な遺伝子のレベルでも確実に存在している。それって、本当に素晴らしいことだ。
親自身の世界を広げ続けることが、子どもの可能性を広げる
年末年始は、夫の実家で夫の親戚たちと過ごした。総勢20人ほど集まって、それは賑やかな年越しだった。親戚には以前も会っているのだが、会うたびに子どもが増えている。5歳児が走り回り、1歳児と2歳児がおもちゃを取り合って叫び、生まれたての新生児が泣く。ふだん子供と接する機会がないから、それぞれの子どもの違いが如実に見て取れて、いろいろと思うところがあった。
個性か、環境か
親戚に、両親共働きで小さいころから保育園に預けられて育った子ども(1歳男児)と、専業主婦が(保育所に預けずに)家で育てている子供(2歳男児)がいた。親戚が大勢集まって慣れない環境だったにも関わらず、前者の保育園育ちの1歳児は基本的に座って食事をし(動き回ることはあっても、また戻ってきて座って食事した)、両親が注意すれば反応を示し、叱られればちゃんと怒られた顔をした。一方、後者の2歳児は、動き回るのを親がスプーンをもって追いかけ、座って食事することが全くできなかった。注意してもあまり聞いておらず、一人遊びに熱中するばかりだった。
これに対し、「小さいうちからダメなことはダメと教えないといけないよ」とか「叱らないと、親のことを舐めてしまって言うことを聞かないよ」とか、周囲の親戚たちがいろいろと助言していた。後者の母親は、夫の転勤に付いて引越を重ねながら、実家から遠く離れた場所で専業主婦となって子どもを育てているので、こういった助言を有難がってよく聞いていた。
現時点において、この2人の子供の違いはとりたてて問題視することではない。そもそも個性が違うし、保育所に預ければ良いしつけができて社会性が身につく、といった単純な話ではない。まずは両親がきちんと子育てをすることが大前提である。でも、多くの人間が関わって子育てしていくことの重要性が、何となく認識させられる場面だった。そのことは、私の今後の人生設計にも影響を及ぼしそうだ。
これまでのプラン
私たち夫婦には、まだ子どもがいない。年齢的にも今後のライフプラン的にも、そろそろ欲しい気持ちもある。いま私はフルタイムの仕事をしていないし、子どもが小さいうちは保育所に預けずに出来る限り自分で育てたいから、今なら絶好のタイミングなんだけれど、なかなかうまくいかない。といって、新しい仕事を見つけてしまってからすぐ妊娠となると、それはそれで大変だ。やっぱり出産してから再就職を考えるのがスムーズなんだけど、でもできない。このままだと出産が遅れるだけでなく、再就職もどんどん後ろ倒しになって、年を重ねるほど就職に不利になるのに。そんな気持ちばかり募って、現実が追い付いてこない。
そもそも保育所に預けずに自分で育てたいと思ったのは、乳児期に親の愛情をしっかりと受けることが、子どもの人格形成にとって重要と言われているからだ。少なくとも2歳くらいまでは自分で育てて、その後に子どもの状態を見ながら預け先を探していこうと、これまでは考えていた。
・幼い子供は、たいていの物質的な環境はそのまま受け入れ、適応する。子供にとって重要な環境とは、いうまでもなく愛情と保護である。その中で子どもは、自分が安全に守られた存在であり、より大きな存在としっかりつながっているということを、体と心で身に着けるのである。この人格形成のもっとも根幹となる過程は、およそ満2歳までに行われる。
・乳児期が終息に近づき、よちよち歩きを始めた頃から、子供は次の段階を迎える、およそ1歳半から3歳までの期間だ。この間に、子供たちは徐々に、母親から分離を成し遂げる。この分離がスムーズにいくためには、母親が、子供を見守り、その欲求をほどよく満たしつつ、同時に徐々に自分の手から放していかなければならない、この母子分離の過程が、あまりに急速過ぎたり、逆に母親が手放すのを躊躇したりすると、分離固体化の課程に支障をきたす。
(岡田尊司「パーソナリティ障害」)
親が社会とどう関わって生きているのかを、子どもは見ている
これまでのプランどおり、保育園に預けずに私が家で1:1の子育てをしたらどうなるか。
これは私自身の性格に起因するところだが、多くの人に囲まれた環境よりも孤独で静かな環境を愛するうえ、知人のいない土地に引っ越してきたばかりの身としては、おそらく母子一体の、じっくり子どもに向き合う濃密な時間を過ごすことになるだろう。
不安なのは、それと引き換えに社会から子どもを切り離してしまったり、場合によっては偏った独断的な子育てをしてしまうことである。なんでも相談できる母親はもう亡くなってしまったし、実家も義理の両親も遠く離れた場所に住んでいて、日常的に子どもに関わってもらうことは難しい。
つまり、私自身が積極的に社会と関わっていかない限り、子どもと社会との接点が制限されてしまうのではないか。「一人が好きだ」という私の性格のせいで、子どもと社会の間に見えない壁を作るようなことは望んでいないし、保育園に預けず自分で育てるとしたら、それは子どもにとって最善と思うからで自分のエゴのためでは決してない。
子育てにはいろいろな考え方があるけれど、自分の性格を考えると、たくさんの人に関わってもらう環境が必要だと感じる。それには、たくさんのママ友を作るのでもいいし、自治体の子育て支援メニューを活用するのもいいかもしれない。けれど、やっぱり私は働きたい。働くことで、社会との接点を増やしたい。親自身が自分の世界を広げ続けることが、子どもの世界を、子どもの可能性を、広げていくことにつながると信じている。親が社会とどう関わって生きているかを、きっと子どもは見ている。
そんなことを悶々と考えながら、2017年を迎えた。まだ答えは出ないけれど、ぼちぼち本気で仕事を探してみようと思っている。
賢者でもなく愚者でもなく
ちょうど1年前の今ごろ読んでいたマツコの対談集。
続編を見つけたので読んでみたら、刺さる刺さる。
私は知性が欲しい。この暗い迷妄の道を照らす確かな灯りが欲しいのよ。だけど、それらしきものを手に入れた途端、自分が賢者になったつもりで別の迷妄の闇に堕ちていくことが目に見えている。私はそれが怖いの。私が過去の自分を脱ぎ捨てて、何か偉くて崇高なものになろうとする、その醜い野心が怖いのよ。(中略)私は誰より競争心の強い浅ましい人間だから、この「賢者の罠」に堕ちやすい。だからこそ、「愚者の自意識」を手放してはならないのよ。
最近、自分で自分に、何様のつもりだ、と唖然とすることがある。家族や知人に対して厳しい視線を投げかけたり、自分を大きくみせようとする。誰も傷つけていないような顔をして、ものごとの実相が見えているようなフリをして、なにもわかっていないことを自分は知っている。誰かの言葉に傷つけられようものなら、相手を見下して自分の世界から排除し、相手にしていないふりをする。プライドの高い賢者になるでもなく、卑屈な愚者になるでもなく、フラットな立場でしなやかに知性を身につけていくことって、こんなに難しいことだっただろうか。
・今までいろんな人間に良かれと思ってお節介した結果、その人たちを逆に潰してきた。(中略)それってぇのも、私が「誰かの役に立ちたい」と願っているからだと自分では思ってたけど、よくよく考えれば単に自分の力を誇示したいだけの自己満足だった。
・それは非常に自己中心的かつ支配的な「繋がり」だから、本物の「絆」にはなりえないのね。
・孤独への耐性と他者へのリスペクトあってこその「絆」なんだわ。
知人に、とても魅力的で親切な人がいる。美しくて、自信に満ち溢れていて、エネルギッシュで、人を巻き込んで物事を進めていくのが得意な人。でもときに、それが傲慢に映る。「あなたのために」と言いながら、いつも「自分(エゴ)」が顔を出す。かゆいところに手が届くというレベルを超えて、ここがかゆいはずよ、私にはわかるのよ、と勝手に掻いてしまう。気づいていなかったでしょう、それを見つけたのは私よ、と臆面もなく言ってしまう。そうなると、人は一定の距離を置いて彼(彼女)と付き合うようになる。
アタシはまだ、自分の本当の急所を知らないで生きている。もちろん、そんなこと万人が知らなくても構わないことだし、知っているからって、その人が偉大な人ってことでもない。が、どこかでアタシはそれを知っている人は偉大だという想念があって、自分の本当の急所を、これまでの経験の記憶の中にいる自分を総動員して、知ったつもりになっているのではないかと自己憐憫しながら発言しているわ。(中略)自分を盛って自虐しているんじゃないかと怯えにも近い感情で生きているのよ。
他人の言動を理不尽に感じたとき、それに抗議しようとする自分を抑えこむことが多い。ここで闘わなくてもいいんだ、ちっぽけなプライドを守るためにこんなやつと同じ土俵で闘って、同じレベルに落ちる必要なんてない、私には闘うべき場所が他にあるんだから。そう思って溜飲を下げることがある。でも、本当に闘うべき時がいつなのか、分かっているとは言えないことにも何となく気づいている。自分の急所って何だろう。読み終わったあとも、この問いがいつまでも心に残る。
女一人旅にはバルト三国がオススメ?テロ危険度など
※冒頭画像:https://retrip.jp/articles/746/
早くも、来年1発目の旅行先を検討中。今回も、もちろん女一人旅です。
ヨーロッパの「テロの脅威」マップ(2016年版、英国外務省)
2016年の半ば頃に出た情報のようなので最新ではありませんが、ヨーロッパ諸国でリスクが低いとされている国(黄色:レベル1)は、スイス、ポーランド、チェコ、ハンガリー、エストニア、ラトビア、リトアニア、スロベニアくらいしかありません。
なかでもスイスが魅力的でしたが、(ISIS関連のテロではないものの)先月チューリヒのモスクでソマリア系イスラム教徒が銃撃されるなど、少し不穏な状況があります。
行ったばかりのポーランドとチェコは、何度でも行きたいくらいお気に入りではありますが、せっかくなら違う国へ。
そこで候補に挙がったのが、バルト三国です。
バルト三国は、女性一人でも非常に旅がしやすい
ヨーロッパの他の国と比べて、マイナーなバルト三国。参考にしたブログによると、次の理由から非常に旅がしやすい国々らしい。
1.治安が良い
2.英語が通じる
3.物価が安い
4.ご飯がおいしい
5.無料wi-fiが多い
6.観光・交通インフラが整っている
7.町が小さいので周りやすい
8.アジア人に変な感情がない(差別的でない)
9.食事に困らない
10.程よい異国感
ならば、北欧もセットにしたい。危険度は?
バルト三国まで行くなら、北欧にも足を延ばしてみたい。そこで、再び先ほどの「テロの脅威マップ」をチェック。北欧諸国はバルト三国よりも危険レベルが少し上がって、ノルウェー・フィンランドでレベル2(脅威は低い)、スウェーデンでレベル3(脅威は高め)。ここで念のため、スウェーデンを検討から外します。
次に判断材料としたのが、各国のイスラム人口。
※http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9030.html
これを見ると、テロ脅威レベルが高い国は軒並みイスラム人口が多いことがわかります。北欧は比較的イスラム人口が少ないように見えますが、特にスウェーデンは昨今、移民を大量に受け入れており、現在は大幅に増加しています。その中で、フィンランドは人口も割合もかなり低い状況と思われます。
あくまで個人的見解ですが、イスラム系移民の多い国はテロの標的になりやすいと私は考えています。これはイスラム教徒への差別でもなんでもなく、単純に自分がテロリストだったら、紛れやすい国を選ぶだろうと考えるからです。その点、フィンランドはイスラム系人口が少なく、あとはイベント時期などを避ければある程度リスクを回避できるのではないかと考えました。かなり甘い推論ではあることは否定できませんが、最終的には自己責任です。前回のチェコ訪問の際も、同様の検討をしました。
船で国境を越えるというロマン
フィンランドとバルト三国を組み合わせた場合、船で国境を越えるのが一般的らしい。
飛行機や鉄道での国境越えは経験ありますが、船というのは未知の世界。しかも、十何時間も閉じ込められるような船旅ではなく、2~3時間で済むというのも精神的な負担が軽い。調べてみると、かなり立派な大型客船のようで安心感もある。魅力的。
ただ、北欧の物価の高さは周知のとおり、食事するにも移動するにも宿泊するにも、お金がかかりすぎる。
しばらくはまだ検討が続きますが、今のところ「フィンランド・バルト三国」が第一候補です。
追記:行ってきました!バルト三国
実際にバルト三国に行ってきました。旅行記はこちらをどうぞ。
日常を緩やかに管理する
昨日に引き続き来年に向けて。
今年は基本的に夜型生活で、自分の気分次第で1日10時間以上パソコンにかじりついて研究を進めたかと思えば、翌日は1日中寝てる、みたいな自由奔放な暮らしをしていました。それはそれで、これまでの長いルーティンのストレスを解消するのに役立ったと思うのだけれど、このままでは物事が遅々として進まない。ということで、来年は1週間(平日)の過ごし方をきちんと習慣化することから始めたいと思います。
計画倒れにならないために。レビューする
ノマドワーカーの働き方を参考に、始業後15分と就業前15分で計画+レビューを行うことにします。今年はどちらかというとレビューの方を重点的に。立花氏のレビュー項目を参考にします。
【今週の出来事】
1日の出来事を1行で書き出す
【質問への回答】
・この1週間の大きな出来事トップ5
・この1週間で私が学んだことは何か
・今週、自分が最も誇れることは何か
・今週、自分がやったことで最も楽しかったことは何か
・来週、何をすればもっと楽しくなるか
・来週< >の目標を達成するために何をすればよいか
・私は< >に苦労している。これをもっと簡単に行うために何ができるか
・直感が私に一つアドバイスを与えるなら、それは何だろう
30代で、新しいことを始める。
この夏は、久しぶりにドキドキした。
というのを急に書きたくなったから、もう10月も下旬だけど、書く。
大それたことは何もないけれど、久しぶりにいろんな初体験をした。これまで「自分には合わない」とか「キャラじゃない」とか理由をつけて避けてきたことに、少し軽めのフットワークで挑戦してみた。
登山
山は見るもの、登るもんじゃない。という30年来のポリシーをあっさり捨てて、知人に誘われるまま標高2000メートル級(初心者向け)の山にアタック。自分の中の、知らなかった山屋の血がフツフツと興奮してくるのがわかった。
ハーフマラソン完走
安易にエントリー。もういやだ、二度とやるもんか、と悪態つきながら走ったのに、終わった後には、もう1回くらい走ってみてもいいかな、などと思っている。これもランナーズハイの一種でしょうか。
着付け教室
着物フリークの友人の影響で、呉服屋さんに行ったり、ライブに着物で参加したりするうちに、一気に着物熱が高まった。
40歳になるまでに、粋に着物を着こなす、小股の切れ上がった女に是非ともなりたい。
身にあまる宝石
女30余にして、初めてケタの違う大粒の宝石を購入。
身の程を超える宝石なんて、自分には所有する理由がないし興味もない!と思っていたけれど、持ってみて初めて知る世界。
フリーランスとして始動
いまはまだ、わずかな受注と低単価だけど、とにかく1人で始めてみた。
アシュタンガヨガ
ヨガといえば、オシャレ女子が早朝集まって朝日に向かってポージング…。なんか恥ずかしい。
そんな偏見を取り去って、ぎっくり腰防止のために始めてみた。早くも腰痛・肩こりに効いている。
ウェディングパーティー
以前、結婚式をディスった。
にもかかわらず、ウエディングパーティーをやった。
イベントへの嫌悪感は相変わらずだし、前日は失踪しようかと思うほどブルーになったけど、かろうじてやり遂げることができた。それはたぶん、①やりたくないことは絶対やらない、②むしろ自分がやりたいことだけやって自分が一番楽しむ、というスタンスだったから。とりあえず、両親や親戚には喜んでもらえて良かった。もう1回やれと言われても、絶対やらないけど。