LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

公務員退職を決断させてくれたもの

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iPhoneのメモ帳を整理していたら、退職前のメモが出てきた。

日付を見ると、退職の1年半ほど前のものだった。今は退職が最善の選択だったとしか思えないのだけれど、当時はそれを決意するまでに長い時間がかかった。そのころは毎日始発の電車で出勤して、終電で帰ってくる日々だった。土日も休むことができない状態で1ケ月2か月と経つうち、帰りの空いた車内で涙がぽろぽろ流れるようになった。疲れ切った頭で、ウダウダ悩み続ける自分の気持ちに決着をつけたくて、書き溜めたメモだった。

今読み返すと、感情的で稚拙で恥ずかしさもあるけれど、それ以上に、このままではいけないと必死だった当時の思いがよみがえってくる。本当に、忍耐の一言に尽きる日々だった。

そのころ、同僚や友人に言えない不満や不安は、phaさんちきりんさんのブログを読むことで落ち着かせていた。このブログがそれと同じような役割を果たすなんて夢にも思っていないけれど、一方で私には元・公務員として分かることがあって、同じような絶望感の中で何とか気持ちをつないで出勤してる人がいることを知っている。どこかで、わずかでも誰かの気休めになるなら、その一部を記録しておこうと思う。

つれづれなるメモ

  • 5年後も今と同じ悩みや不安を抱えて過ごしたくない。変わり映えしないまま、歳だけとって後悔したくない。辞めたらチャンスとリスクが両方あるけど、辞めなければ後悔しか残らない。
  • 辞めたら最後、もう、いま以上の仕事には一生つけないかもしれない
  • 大きな不満もないかわりに、大きなやり甲斐もない。自分を誇れない。せめて家族がそばにいたら、このまま目をつむって生きるのもアリかもしれないけど、1人で生きていくなら、ここに留まることは空しいだけ
  • 周りを納得させる生き方をして、自分が納得できない生き方をしてきたこの5年、果たして幸せだったか?周りが納得しなくても、自分が満足できればそれでいいのでは?自分の人生だ
  • とりあえず、仕事やめても生きていける
  • 辞めたい。希望を感じない。人生を捨てている感じ。でも、辞めたくない。自立していたい。
  • もう、こんなこと続けられない。死んだように生きる、とはこのこと。
  • 公務員として忙しく1日がおわることは、それなりの充実感を与えてくれる。でもそれが将来につながっていかなければ、積み重ねにならない。この5年間、毎日毎日忙しく働いて、ただ土日を心待ちにして働いて、その結果自分に残ったものは何か?
  • いくら努力しても、積み重ねのない努力は残らない。この仕事で、自分の資産となるものをどれくらい積み重ねてこれたのか?
  • どの道で、何をするにしても、勉強していくことが必要。どこにいても、自分で生計を立てていける力を身につけないと。
  • 公務員を辞めて、孤独に耐えられるか?
  • 雇われの身になりたくない。といって、自分が経営者の器だとも思えない。働き方を抜本的に変えるしかない。子供も持ちたいし、家庭以外にも大切なものを持ちたいし、自立できる資産を持ちたいし、将来的には仕事を通じて社会貢献もしたい。サラリーマンとして、人生の大半を不満と不安で過ごしたくないし、仕事で体や家庭を犠牲にしたくない。
  • 月曜日、また1週間をさっさとやり過ごして、週末を早く迎えたいと願う。そして土曜は、平日の疲れで体調がすぐれず、日曜は翌週のためにエネルギーを温存して思い切り遊ぶこともない。そうやって、毎日が過ぎて、あっという間に5年経った。
  • やる気もエネルギーも希望も、自分らしく生きる要素はどこかに無くしてしまった。このままぬるま湯に浸かったように生きて死んだら、絶対に後悔する。自分の人生を精いっぱい楽しんで生きられたら。
  • 通勤の定期を買うたびに、定期を買うのはこれで最後にしたいといつも思ってきた。定期の有効期限まで何とか頑張ったら、あとは退職するんだと思うことだけが、心の支えだった。入省時に感じた違和感、自分の居場所はここじゃないという直感を、5年経った今日まで、毎日感じてきた。ここが自分の生きる場所だとか、天職だと思えた日は一日もなかった。辞める決断は正しいかどうかわからないけど、少なくとも間違っていないことだけは確信できる。
  • 人生は短い。自分の人生なんだから、やりたいことをやらなきゃ後悔する。公務員として生きていく未来は容易に想像がつくけど、そういう人生を歩みたいか?こんな風になりたいと憧れる人はいたか?否、あんなふうになりたくないとか、なんであんなにすごい人がこの程度で収まって満足しているんだろうと思ってきた。ここにいたら、それは自分の未来の姿になる。
  • なんとかなる。そう思えたらきっと大丈夫。流れに身をまかせつつ、分岐点で命がけで曲がる。死ぬことはみな平等で、こんなに普通のことはない。
  • ラクをしたいとは思わない。確実な保証はどこにもないけれど、リスクを自分で負えるかどうか。
  • 結局、自分の人生の責任は自分でとるしかない。誰かに委ねたら、そのあと自分に起きることをすべて責任転嫁して生きていくしかない。自分以外のコントロールできないものに口を出して、不平不満を言う人生は嫌だ。
  • 毎日最低8時間、同じ席で同じ人に囲まれていることが苦痛。仕事は集中して何時間でも取り組めるし、興味のあることなら休日返上でも構わないが、同僚の雑談に時間を取られて上司のジョークに気を遣って、神経が擦り減る。雑談も仕事のうち、必要なコミュニケーションだという暗黙のプレッシャーがあり、それをしないと浮く職場。だから合わせているけれど、心底くだらないと思っている。これがあと何十年も続くかと思うと、目の前が真っ暗になる。でも、この場所から動くことが出来なくて辛い。
  • やりたいことは自分の中にある。

 

流れていく感情を記録することで、退職の覚悟ができた

こんな風に一進一退で悩んでいたけれど、最終的にこの翌年に退職した。

その決断には、このメモも役立った。日々流れていく感情を、きちんと記録・蓄積していくことは、のちの決断において有用な財産になる。時間が経つと薄れてしまいがちな日々の苦しみの深さや満足度の低さを、その時の感情のまま思い出させてくれる。少しは楽しいこともあるしとか、まだもう少し耐えられそうだしとか、不安で退職の決意が揺らぎそうになったときも、こもメモが背中を押してくれた。これから先の5年間も、同じ思いを繰り返して過ごしていくのか、と問いかけることができた。このメモを付け続けるうち、自分のなかに覚悟のようなものが固まっていくのを感じた。

いまはまだ理想にはほど遠いけれど、一つ言えることは、もう憂うつな気持ちで朝を迎える日はないということ。退職を後悔することはないし、もっと早く決断すればよかったと思うほど。何よりも、今は未来の可能性に向けて、わくわくすること、楽しいと思えることにエネルギーを費やすのに忙しい。希望がある今の暮らしが、公務員時代に望んでいた生き方だと自信をもって言える。

 

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退職して10か月、公務員時代の収入に追いついた。

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退職して、まもなく10か月が過ぎようとしています。

この間、博士号取得のための研究を第一優先にしてきました。その傍ら、空き時間を使って(週にせいぜい2日くらいですが)細々と仕事をしてきました。

そして今月になって、はじめて公務員時代の手取り収入に追いつきました。

退職後の2つの収入源

収入源1:大学の研究員(非常勤)

院生をしながら、リサーチ関連の研究員(非常勤)をしていました。実働は月に4、5日程度で4~6万円ほど。ある程度定期的な収入が見込めるし、自分の勉強にもなるので、よいバイトになっています。

収入源2:クラウドの仕事

さて、こちらが本題。

公務員退職と同時に登録した、クラウドワーキングサイトからの収入です。

始めた動機は、収入源を得たいという理由のほかに、①元公務員とか博士課程の院生or研究員という肩書無しに、いち個人として自分のスキル・仕事はいくらで売れるのか、また②一般企業で必要とされている調査研究とはどのようなものなのか、知りたいという思いからでした。

収入を得るだけなら、どこかの会社に普通に就職すればよかったのですが、組織に所属せず、働く時間や場所を拘束されずに自分のペースで仕事をしたとき、どの程度やれるのか試してみたかったのです。

最初のうちは、あまりの単価の安さに愕然とし、サイトにアップされる仕事をただ眺めているだけでした。そのうち、少しずつオファーに手を挙げるようにしてみましたが、研究系はそもそも依頼が少ないし、実績のない人はクライアントとしてなかなか選定されない。大学も忙しいし…と自分に言い訳しながら、しばらくはサイトを検索するだけの日々でした。

秋口くらいから、大学のスケジュールに少し余裕ができたこともあり、たくさん手を挙げて、単価の安い仕事を1件、2件と受注するようになりました。

しかし、月の受注件数が1件しかない月や、まったくマッチングできない月もあり、クラウドによる収入が安定しないまま年を越しました。

クラウドワーキングで、月の収入が20万円超に

そして2017年、今月の売上が大きく増えました。たまたま運よく、単価の高い仕事を続けて受注できたことが理由ですが、実働は20時間ほどだったので、時給換算すると1万円/時ほどになり、我ながら驚きの売上でした。

といっても、今回はたまたま運が良かっただけで、こんなことは滅多にあることではありません。きっと、来月からはまた、空き時間に安いお仕事を1件、2件と地道にこなす日々に戻るのでしょう。そもそも、これまでの収入で均せば、月あたりの売上では大した金額にもなりません。

それでも、1件の小さな仕事で得た信頼が、次の案件につながっている実感があります。現時点の自分の市場価値について、その上限と下限がはっきり提示されるということも、今は楽しめています。「市場に評価される」ことの苦しさと喜びを、ほんのわずかでも実感することができて本当にうれしい。

さらに言えば、この10か月の歩みの中で、この先の働き方に新たな選択肢が与えられたと思っています。組織に所属しなければ生きていけないわけじゃない。自分のペースで仕事を選んでも、必要としてくれる人がいる。でもそういう生活を続けていくためには、とにかく成長し続けることが不可欠。

しばらくは経済的にとても不安定な日々が続くけれど、自分にもまだまだやれることがあって、まだ伸びていけるんだと希望を感じられることが、本当に幸せです。公務員だったころの、とにかく希望がなくて人生を捨てているような感覚には、もう二度と戻れない。

 

SONGSスペシャル・宇多田ヒカルの言葉

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お正月の再放送を録画して、やっぱり何度見ても素晴らしかったので、備忘録的にその言葉をいくつか書き留めておきます。彼女が紡ぎ出す言葉が、心の深い部分をえぐっていく感覚があって、泣けました。

以前の記事はこちら。

 

母・藤圭子の死について

あらゆる現象に母が見えてしまった時期があったんですよ、関係ない事象でも。うわーつらいなー、やだなー、それってなんなんだろうと思ったんだけど、結局誰しも原点があって、私の原点は母だと。私の世界、あらゆる現象に彼女が何かしら含まれるのは当然じゃんと。私の体だって親からきてるものですから当然か、と思えるようになって。それまで悲しいと思ってたことが急に素晴らしいことだなと、それを感じられるようになったんだから素晴らしいことじゃないかと思ったんですよ。

 

亡き母に伝えたいこと

 もし母が亡くなった後に妊娠していなかったら、今もし子供がいなかったら、たぶんアルバム作ったり仕事始めようと思えてないと思います。

 自分が親になると面白いなと思ったのは、自分の子供を見てて、生まれて最初の体験とか経験で、一番人格の基礎となるものとか世界観とか形作られていくじゃないですか。なのにその時期のこと、自分は完全に忘れてるってすごくないですか?つまり、すべて無意識の中にある、闇の中にあるみたいな。それをみんな抱えて生きていて、そこからいろんな不安とか悩みとか苦しみが出てくると思うんですよね。なぜ私はこうなんだ、なんでこんなことをしてしまうんだとか。自分が親になって自分の子供を見てると、最初の自分の空白の2、3年が見えてくる。ああ、私こんなんだったんだな、こんなこと親にしてもらって、こんな顔してて、というのが見えて、それって結局親に対する感謝とか、自分がどこにいるのかがふわっと見えた瞬間という感じで。ずっと苦しんでいた理由みたいな、わからない、なんでこうなんだっていう苦しみがふわっとなくなった気がして。それこそいろんなものが腑に落ちるというか。

 

子は、永遠に母の一部

母が亡くなって10年以上経っても、いまだに母を思わない日はない。今でこそ辛いばっかりじゃなくて温かい記憶でもあるけれど、後悔や淋しさは消えることがなくて、その気持ちはずっと抱えていくしかないと思ってきた。

でも、そうじゃない。私は今も母の一部。だから、あらゆることが母につながっている。私が生きているから母は今も私の中で生きていて、それは記憶や意識の中だけじゃなくて無意識のレベルにも深く存在しているし、極小な遺伝子のレベルでも確実に存在している。それって、本当に素晴らしいことだ。


 

親自身の世界を広げ続けることが、子どもの可能性を広げる

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年末年始は、夫の実家で夫の親戚たちと過ごした。総勢20人ほど集まって、それは賑やかな年越しだった。親戚には以前も会っているのだが、会うたびに子どもが増えている。5歳児が走り回り、1歳児と2歳児がおもちゃを取り合って叫び、生まれたての新生児が泣く。ふだん子供と接する機会がないから、それぞれの子どもの違いが如実に見て取れて、いろいろと思うところがあった。

個性か、環境か

親戚に、両親共働きで小さいころから保育園に預けられて育った子ども(1歳男児)と、専業主婦が(保育所に預けずに)家で育てている子供(2歳男児)がいた。親戚が大勢集まって慣れない環境だったにも関わらず、前者の保育園育ちの1歳児は基本的に座って食事をし(動き回ることはあっても、また戻ってきて座って食事した)、両親が注意すれば反応を示し、叱られればちゃんと怒られた顔をした。一方、後者の2歳児は、動き回るのを親がスプーンをもって追いかけ、座って食事することが全くできなかった。注意してもあまり聞いておらず、一人遊びに熱中するばかりだった。

これに対し、「小さいうちからダメなことはダメと教えないといけないよ」とか「叱らないと、親のことを舐めてしまって言うことを聞かないよ」とか、周囲の親戚たちがいろいろと助言していた。後者の母親は、夫の転勤に付いて引越を重ねながら、実家から遠く離れた場所で専業主婦となって子どもを育てているので、こういった助言を有難がってよく聞いていた。

現時点において、この2人の子供の違いはとりたてて問題視することではない。そもそも個性が違うし、保育所に預ければ良いしつけができて社会性が身につく、といった単純な話ではない。まずは両親がきちんと子育てをすることが大前提である。でも、多くの人間が関わって子育てしていくことの重要性が、何となく認識させられる場面だった。そのことは、私の今後の人生設計にも影響を及ぼしそうだ。

これまでのプラン

私たち夫婦には、まだ子どもがいない。年齢的にも今後のライフプラン的にも、そろそろ欲しい気持ちもある。いま私はフルタイムの仕事をしていないし、子どもが小さいうちは保育所に預けずに出来る限り自分で育てたいから、今なら絶好のタイミングなんだけれど、なかなかうまくいかない。といって、新しい仕事を見つけてしまってからすぐ妊娠となると、それはそれで大変だ。やっぱり出産してから再就職を考えるのがスムーズなんだけど、でもできない。このままだと出産が遅れるだけでなく、再就職もどんどん後ろ倒しになって、年を重ねるほど就職に不利になるのに。そんな気持ちばかり募って、現実が追い付いてこない。

そもそも保育所に預けずに自分で育てたいと思ったのは、乳児期に親の愛情をしっかりと受けることが、子どもの人格形成にとって重要と言われているからだ。少なくとも2歳くらいまでは自分で育てて、その後に子どもの状態を見ながら預け先を探していこうと、これまでは考えていた。

・幼い子供は、たいていの物質的な環境はそのまま受け入れ、適応する。子供にとって重要な環境とは、いうまでもなく愛情と保護である。その中で子どもは、自分が安全に守られた存在であり、より大きな存在としっかりつながっているということを、体と心で身に着けるのである。この人格形成のもっとも根幹となる過程は、およそ満2歳までに行われる

・乳児期が終息に近づき、よちよち歩きを始めた頃から、子供は次の段階を迎える、およそ1歳半から3歳までの期間だ。この間に、子供たちは徐々に、母親から分離を成し遂げる。この分離がスムーズにいくためには、母親が、子供を見守り、その欲求をほどよく満たしつつ、同時に徐々に自分の手から放していかなければならない、この母子分離の過程が、あまりに急速過ぎたり、逆に母親が手放すのを躊躇したりすると、分離固体化の課程に支障をきたす。

岡田尊司「パーソナリティ障害」)

親が社会とどう関わって生きているのかを、子どもは見ている

これまでのプランどおり、保育園に預けずに私が家で1:1の子育てをしたらどうなるか。

これは私自身の性格に起因するところだが、多くの人に囲まれた環境よりも孤独で静かな環境を愛するうえ、知人のいない土地に引っ越してきたばかりの身としては、おそらく母子一体の、じっくり子どもに向き合う濃密な時間を過ごすことになるだろう。

不安なのは、それと引き換えに社会から子どもを切り離してしまったり、場合によっては偏った独断的な子育てをしてしまうことである。なんでも相談できる母親はもう亡くなってしまったし、実家も義理の両親も遠く離れた場所に住んでいて、日常的に子どもに関わってもらうことは難しい。

つまり、私自身が積極的に社会と関わっていかない限り、子どもと社会との接点が制限されてしまうのではないか。「一人が好きだ」という私の性格のせいで、子どもと社会の間に見えない壁を作るようなことは望んでいないし、保育園に預けず自分で育てるとしたら、それは子どもにとって最善と思うからで自分のエゴのためでは決してない。

子育てにはいろいろな考え方があるけれど、自分の性格を考えると、たくさんの人に関わってもらう環境が必要だと感じる。それには、たくさんのママ友を作るのでもいいし、自治体の子育て支援メニューを活用するのもいいかもしれない。けれど、やっぱり私は働きたい。働くことで、社会との接点を増やしたい。親自身が自分の世界を広げ続けることが、子どもの世界を、子どもの可能性を、広げていくことにつながると信じている。親が社会とどう関わって生きているかを、きっと子どもは見ている。

 

そんなことを悶々と考えながら、2017年を迎えた。まだ答えは出ないけれど、ぼちぼち本気で仕事を探してみようと思っている。

 

 

賢者でもなく愚者でもなく

ちょうど1年前の今ごろ読んでいたマツコの対談集。

続編を見つけたので読んでみたら、刺さる刺さる。

愚の骨頂 続・うさぎとマツコの往復書簡

私は知性が欲しい。この暗い迷妄の道を照らす確かな灯りが欲しいのよ。だけど、それらしきものを手に入れた途端、自分が賢者になったつもりで別の迷妄の闇に堕ちていくことが目に見えている。私はそれが怖いの。私が過去の自分を脱ぎ捨てて、何か偉くて崇高なものになろうとする、その醜い野心が怖いのよ。(中略)私は誰より競争心の強い浅ましい人間だから、この「賢者の罠」に堕ちやすい。だからこそ、「愚者の自意識」を手放してはならないのよ。

最近、自分で自分に、何様のつもりだ、と唖然とすることがある。家族や知人に対して厳しい視線を投げかけたり、自分を大きくみせようとする。誰も傷つけていないような顔をして、ものごとの実相が見えているようなフリをして、なにもわかっていないことを自分は知っている。誰かの言葉に傷つけられようものなら、相手を見下して自分の世界から排除し、相手にしていないふりをする。プライドの高い賢者になるでもなく、卑屈な愚者になるでもなく、フラットな立場でしなやかに知性を身につけていくことって、こんなに難しいことだっただろうか。

 

・今までいろんな人間に良かれと思ってお節介した結果、その人たちを逆に潰してきた。(中略)それってぇのも、私が「誰かの役に立ちたい」と願っているからだと自分では思ってたけど、よくよく考えれば単に自分の力を誇示したいだけの自己満足だった。

・それは非常に自己中心的かつ支配的な「繋がり」だから、本物の「絆」にはなりえないのね。

・孤独への耐性と他者へのリスペクトあってこその「絆」なんだわ。

知人に、とても魅力的で親切な人がいる。美しくて、自信に満ち溢れていて、エネルギッシュで、人を巻き込んで物事を進めていくのが得意な人。でもときに、それが傲慢に映る。「あなたのために」と言いながら、いつも「自分(エゴ)」が顔を出す。かゆいところに手が届くというレベルを超えて、ここがかゆいはずよ、私にはわかるのよ、と勝手に掻いてしまう。気づいていなかったでしょう、それを見つけたのは私よ、と臆面もなく言ってしまう。そうなると、人は一定の距離を置いて彼(彼女)と付き合うようになる。

 

アタシはまだ、自分の本当の急所を知らないで生きている。もちろん、そんなこと万人が知らなくても構わないことだし、知っているからって、その人が偉大な人ってことでもない。が、どこかでアタシはそれを知っている人は偉大だという想念があって、自分の本当の急所を、これまでの経験の記憶の中にいる自分を総動員して、知ったつもりになっているのではないかと自己憐憫しながら発言しているわ。(中略)自分を盛って自虐しているんじゃないかと怯えにも近い感情で生きているのよ。

他人の言動を理不尽に感じたとき、それに抗議しようとする自分を抑えこむことが多い。ここで闘わなくてもいいんだ、ちっぽけなプライドを守るためにこんなやつと同じ土俵で闘って、同じレベルに落ちる必要なんてない、私には闘うべき場所が他にあるんだから。そう思って溜飲を下げることがある。でも、本当に闘うべき時がいつなのか、分かっているとは言えないことにも何となく気づいている。自分の急所って何だろう。読み終わったあとも、この問いがいつまでも心に残る。

女一人旅にはバルト三国がオススメ?テロ危険度など

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※冒頭画像:https://retrip.jp/articles/746/

早くも、来年1発目の旅行先を検討中。今回も、もちろん女一人旅です。

ヨーロッパの「テロの脅威」マップ(2016年版、英国外務省)

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2016年の半ば頃に出た情報のようなので最新ではありませんが、ヨーロッパ諸国でリスクが低いとされている国(黄色:レベル1)は、スイス、ポーランドチェコハンガリーエストニアラトビアリトアニアスロベニアくらいしかありません。

なかでもスイスが魅力的でしたが、(ISIS関連のテロではないものの)先月チューリヒのモスクでソマリアイスラム教徒が銃撃されるなど、少し不穏な状況があります。

行ったばかりのポーランドチェコは、何度でも行きたいくらいお気に入りではありますが、せっかくなら違う国へ。

そこで候補に挙がったのが、バルト三国です。

バルト三国は、女性一人でも非常に旅がしやすい

ヨーロッパの他の国と比べて、マイナーなバルト三国。参考にしたブログによると、次の理由から非常に旅がしやすい国々らしい。

1.治安が良い

2.英語が通じる

3.物価が安い

4.ご飯がおいしい

5.無料wi-fiが多い

6.観光・交通インフラが整っている

7.町が小さいので周りやすい

8.アジア人に変な感情がない(差別的でない)

9.食事に困らない

10.程よい異国感

ならば、北欧もセットにしたい。危険度は?

バルト三国まで行くなら、北欧にも足を延ばしてみたい。そこで、再び先ほどの「テロの脅威マップ」をチェック。北欧諸国はバルト三国よりも危険レベルが少し上がって、ノルウェーフィンランドでレベル2(脅威は低い)、スウェーデンでレベル3(脅威は高め)。ここで念のため、スウェーデンを検討から外します。

次に判断材料としたのが、各国のイスラム人口。

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http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9030.html

これを見ると、テロ脅威レベルが高い国は軒並みイスラム人口が多いことがわかります。北欧は比較的イスラム人口が少ないように見えますが、特にスウェーデンは昨今、移民を大量に受け入れており、現在は大幅に増加しています。その中で、フィンランドは人口も割合もかなり低い状況と思われます。

あくまで個人的見解ですが、イスラム系移民の多い国はテロの標的になりやすいと私は考えています。これはイスラム教徒への差別でもなんでもなく、単純に自分がテロリストだったら、紛れやすい国を選ぶだろうと考えるからです。その点、フィンランドイスラム系人口が少なく、あとはイベント時期などを避ければある程度リスクを回避できるのではないかと考えました。かなり甘い推論ではあることは否定できませんが、最終的には自己責任です。前回のチェコ訪問の際も、同様の検討をしました。

船で国境を越えるというロマン

フィンランドバルト三国を組み合わせた場合、船で国境を越えるのが一般的らしい。

飛行機や鉄道での国境越えは経験ありますが、船というのは未知の世界。しかも、十何時間も閉じ込められるような船旅ではなく、2~3時間で済むというのも精神的な負担が軽い。調べてみると、かなり立派な大型客船のようで安心感もある。魅力的。

ただ、北欧の物価の高さは周知のとおり、食事するにも移動するにも宿泊するにも、お金がかかりすぎる。

しばらくはまだ検討が続きますが、今のところ「フィンランドバルト三国」が第一候補です。

追記:行ってきました!バルト三国

実際にバルト三国に行ってきました。旅行記はこちらをどうぞ。