日本ではお目にかかれない?バルト三国の穴場スポット4選
バルト三国訪問にあたり、事前に観光スポットを調べていったのですが、いわゆるメジャーどころ以外の穴場スポットで良かったところを、いくつかご紹介します。
1.ウジュピス共和国(リトアニア・ヴィリニュス)
リトアニアに来て初めて知ったのですが、リトアニアのウジュピス地区には、ウジュピス共和国という独立国家があります。といっても、国土がわずか0.6㎢しかなく、ウジュピス地区の芸術家たちが1997年に勝手に独立宣言した、正式には国と認められていない、いわゆるミクロネーションです。大統領も国歌もあり、特に有名なのは各国語に訳されたユニークな憲法です。数か国語に訳されているのですが、日本語訳の掲示がなかったので、勝手に翻訳。*1 フフッと笑ってしまうような条文もあります。
ウジュピス共和国憲法(日本語訳・非公式)
1. 誰もがVilnia川の側に住む権利があり、Vilnia川はその側を流れる権利がある。
2. 誰もがお湯と冬の暖房とタイル張りの屋根で暮らす権利がある。
3. 誰もに死ぬ権利があるが、義務はない。
4. 誰もが過ちを犯す権利がある。
5. 誰もがユニークである権利がある。
6. 誰もに愛する権利がある。
7. 誰もに愛されない権利があるが、必ずしも愛されないわけではない。
8. 誰もが平凡で無名である権利がある。
9. 誰もが遊んで暮らす権利がある。
10.誰もが猫を愛し世話する権利がある。
11.誰もが犬が死ぬまで見守る権利がある。
12.犬は犬として存在する権利がある。
13.猫は飼い主を愛する義務はないが、飼い主の窮地は助けなければならない。
14.ときに誰もが自身の役目を知らずにいる権利がある。
15.誰もに疑う権利があるが、義務はない。
16.誰もが幸せになる権利がある。
17.誰もが不幸になる権利がある。
18.誰もが黙っている権利がある。
19.誰もが信仰を持つ権利がある。
20.暴力をふるう権利は誰にもない。
21.誰もが自分にとって重要でない物事の真価を認める権利がある。
22.誰も永遠を望む権利はない。
23.誰もが理解する権利がある。
24.誰もが何も理解しない権利がある。
25.誰もがいずれかの国籍をもつ権利がある。
26.誰もが誕生日を祝い、また祝わない権利がある。
27.誰もが自分の名前を覚えるべきである。
28.誰もが自分の所有物を共有できる。
29.所有していないものを共有することは誰にもできない。
30.誰もが兄弟、姉妹、両親をもつ権利がある。
31.誰もが自立できる。
32.誰もが自由について責任がある。
33.誰もが泣く権利がある。
34.誰もが誤解される権利がある。
35.他人を有罪とする権利は誰にもない。
36.誰もが個人として存在する権利がある。
37.誰もが権利を持たない権利がある。
38.誰もが恐れない権利がある。
(39. 負けないこと)
(40. 喧嘩しないこと)
(41. 降伏しないこと)最後の3つはモットーであり、権利ではないと主張する者もいる。
これは、Thomas Chepaitis(Uzhupis外務大臣)とRomas Lileikis(Uzhupis大統領)によって1998年7月に書かれたものである。
2.医療史博物館(ラトビア・リガ)
マニアックですが、おすすめの博物館。西洋医学の単純かつ豪快さが、これでもかというくらいシュールに展示されています。
そして、ここでも所々ちりばめられる旧ソ連の鬼畜感…。たとえば生物実験「双頭の犬*2」の展示もありましたが、ゾッとして写真におさめることができませんでした。あとは宇宙実験の展示で、犬に宇宙服を着せてイスに括りつけてる様子とか。
内容も盛りだくさんで見ごたえありますが、とにかくつっこみどころが多すぎて、おなかいっぱいになります。
※こちらの方が詳しい記事を書いてらっしゃいます。
→ラトビア☆リガ パウルス・ストゥラディンシュ医療史博物館|日記
3.猿の宇宙飛行士(ラトビア・リガ)
医療史博物館から中心部に戻る途中、大通りを歩きながらふと横を見てギョッとしました。公園の木々のなかに、高さ12メートルの巨大な猿の像。「サム」という名が付けられた、ロシアの彫刻家の作品だそう。宇宙有人ミッションで生物実験に使われた動物たちへの敬意を表した記念碑とのこと。なんでしょう、このセンス。とにかく日本ではお目にかかれないタイプの記念碑です。
4.ヴィリニュス大学の壁画(リトアニア・ヴィリニュス)
リトアニア最古の大学、名門ヴィリニュス大学。ここもかつては、反ロシア運動の拠点となったことから、1世紀近く閉鎖されていた歴史があります。敷地内には12の中庭があり、有料で美しい大学構内を見て回ることができます。
オススメは、書籍部(↑)とバロック様式の建物にあるフレスコ画(↓)。美しさに見とれていると、鼻をほじってこちらを見ているオジサン発見。どこにいるのか、お探しあれ。
こちらもどうぞ!
*2:詳しく知りたい方はこちらを参照。http://www.imishin.jp/vladimir-demikhov/
バルト三国で最もおすすめ・リトアニアの見どころ6選
はじめに・・・
そもそもなぜバルト三国?という方は、まずこちらを参照。
そして、なぜリトアニアがおすすめ?と思った方は、こちらも参照。
絶対に外せない!リトアニアの見どころ6選
①トラカイ城とその湖畔(ヴィリニュス近郊)
ここは湖に浮かぶ古城で、もちろん城内も美しく見どころがあるのですが、イチ押しポイントは最寄りのバス停から城に向かう湖畔の道が素敵すぎること。至るところに桟橋やボートがあって、水着で日光浴している現地の人や、桟橋に座って水遊びをする家族連れなど、なんというか、幸せを絵に描いたような場所でした。
大切な人と心穏やかに散策するもよし、一人で物思いにふけるのもよし。誰と来ても、この湖畔でゆったりと流れる時間が思い出に残ると思います。
トラカイ城は、首都ヴィリニュスからバスで30~40分程の場所にあります。ヴィリニュス駅からトラカイ行きのミニバスがたくさん出ているので、乗るときにチケット売り場で時間と乗り場を聞いて、間に合うように乗ればOK。バスの運転手に料金1.7ユーロ払って乗車。トラカイのバス停についたら、とにかく湖に出る道を選んで進むこと!所要時間は、少なくとも半日は欲しいところ。
②KGB博物館(ヴィリニュス)
旧ソ連の秘密警察KGBが使用していた建物で、リトアニア人への抑圧の歴史に関する展示のほか、地下の収容所・拷問室などを見ることができます。言語も、宗教も、思想も、信条も、振る舞いも、すべてロシアと同一であることを強制され、それを拒んだり自由を求めれば、捕らえられ拷問され処刑される道が待っていました。
画像左は拷問室の1つで、骨が折れるほど強く体を締め付ける囚人服が展示されています。壁は防音になっていて、叫び声が外に漏れないようになっています。中央は、水責めのための拷問室で、囚人は裸で真ん中の小さな丸い台の上に立たされ、一歩でも踏み外せば冷たい水の中に落ちる構造になっています。右は立ち牢。久しぶりに、アウシュビッツで感じたのと同じ、重い空気を感じた場所でした。
リトアニアは、他国に征服されて激しい言論・思想統制が行われたわけですが、「権力による抑圧」という意味では、他国の政府であろうと自国の政府であろうと同じことで、むしろ自国の政府が統制しようとする方が状況は深刻だな、と最近施行された我が国の法律のことが頭をよぎりました。
③十字架の丘(シャウレイ)
ヨーロッパに何度も観光に行くと、教会やら城跡やら、どこかで見たような風景にだんだん慣れてきてしまいますが、ここは唯一無二の場所。ここもKGB博物館に続き、ロシアの抑圧と関係の深い場所です。
初めてここに十字架が立てられたのは、1831年のロシアに対する蜂起の後と言われていて、ロシアの圧制により処刑・流刑されたリトアニア人たちを悼んで持ち寄られた十字架が、途中旧ソ連軍に撤去されながらも、いまなお増え続けているというもの。
高さ数メートルを超えるような巨大な十字架や、ちょっと個性的なキリスト像、日本語の十字架なんかもありました。私も、売店で小さな十字架を買って祈りを捧げてきました。寒い日だったので、滞在は1時間ほどでしたが、十分見て回ることができました。
最寄りのバス停(ドマンタイ)から十字架の丘までは、けっこう歩きます。温かい日ならよい散歩ですが、私が訪れた日は強風で雨が降ったので、誰かとタクシー相乗りすればよかったなーと思うくらいでした。
④悪魔博物館(カウナス)
マニアックですが、おすすめです。おどろおどろしい博物館を想像して行きましたが、館内は新しく綺麗で、展示物もフフッと笑ってしまうような、ちょっと滑稽でかわいらしい悪魔がたくさんいました。レプリカがあったらほしい!と思うほど。
例えば左は悪魔と人間の祝宴。真ん中は、絵描き(人間)とポージングをするモデル(悪魔)。右は…ダチョウ倶楽部? 人間と悪魔が共存するようなテーマが多くて、ほっこりしました。もちろん、恐ろしい悪魔をご所望の方にはそういう展示もあります。
⑤杉原記念館(カウナス)
リトアニアに行ったら、日本人としてここを逃すわけにはいかないでしょう。カウナス中心部から、緑豊かな丘を越えて、民家を横目に過ぎた小道の先にあります。記念館は小さいですが、日本語ビデオを見たり、展示を見たり、スタッフ(対応してくれた2人のうち、1人は流暢な日本語を話します)とお話しをしたり、いろいろ勉強できます。
寄せ書きを見ると、日本からたくさんの訪問者が来ていることがわかります。バルト三国では日本人をあまり見かけない印象でしたが、この館内では多くの日本人と出会えます。私が訪問したときは、日本からのひとり旅数名のほか、視察旅行の御一行様がいて、館内はごった返していました。
⑥カウナス城(カウナス)
少し時間があったので、旧市街北西部のカウナス城まで、徒歩で足を延ばしてみました。あまり期待していなかったのですが、雰囲気の良いこじんまりした城跡で、お散歩コースに入れるのがおすすめです。あまり見たことのないタイプの独特な城跡で、一言で言うなら、すぐ攻め落とされそうな城という印象。実際に、何度も攻撃を受け破壊されてきたらしく、今残っているのは塔と城壁の一部のみ。
入場料を払って地下に下りると、牢獄として使用されていた頃のギロチンが展示されています。暗い地下室を1人でウロウロ歩いて、台の上に乗れという表示に従ったら、映像(画像左)と声が流れて心臓が止まりそうになりました。城内はせまいですが、階段を上がると見晴らしがよく、のどかで素敵な場所でした。ちなみに、入館料はクレジットカードで支払えませんのであしからず。
バルト三国のなかで特にリトアニアをオススメする理由
そもそもなぜバルト三国?という方は、まずこちらを参照。
三国を実際に訪れてみて、その奥深さに魅了されたのがリトアニアでした。これからバルト三国を訪れる方は、ぜひとも3国のうちリトアニアに多く日程を割いていただきたい!自信を持ってオススメする理由は、次の3つ。
理由①観光地としての層が厚い
小さな国ですが、複数の都市に見どころが散らばっており、少なくとも3都市は訪れる価値があります。ヨーロッパを何度も旅行していて、古城の美しさや教会の荘厳さなど、いわゆる観光地は見飽きてしまった方でも、少し違った景色に出会える国だと思います。観光国としての、層の厚さを感じます。
理由②他の二国にはない独自性がある
もともとリトアニアは、14世紀頃ヨーロッパ最大の国家だったリトアニア大公国の時代があって、それがリトアニア人の誇り。しかし近代、西からはドイツ、東からはロシアに攻め込まれ、旧ソ連に編入されて厳しい抑圧を受けるという激動の時代を経験します。
1990年代に起こった独立運動では、エストニア・ラトビアが「新しい国を作るぞ!」という気運だったのに対し、リトアニアだけは「奪われた自分たちの国を取り戻すぞ!」という、他の二国とは少しニュアンスの違うものでした。だからこそ、自分たちのアイデンティティを取り戻すため、その闘いはより激しいものとなり、受けた傷も深いものになったという印象を受けます。多くのリトアニア人が自由のために闘い、KGBに捕まって拷問・処刑された歴史は、KGB博物館に一部残されています。この歴史的背景からくるリトアニアという国の奥深さは、一言では語りつくせません。
理由③旧共産圏の雰囲気が色濃い
これは人により良し悪しだと思いますが、旧共産圏の雰囲気が色濃く感じられる国だと思います。チェコ・プラハやエストニア・タリンなども旧共産圏ですが、それらは華やかな観光地として完成されており、リトアニアとはまったく雰囲気が異なります。
例えば、杉原千畝記念館があるカウナスという街に入ったときは、壁が崩れて廃墟のようになっている建物や穴だらけの道路がそのまま放置されていたり、壁にたくさん落書きが残されたままになっていました。もちろんメイン通りは綺麗に整備されているのですが、そこから少し小道に入ると、女1人では少し怖いような雰囲気もありました。まだまだ経済が追い付いていない、と感じざるを得ない風景でした。
それでも、華やかな観光地の姿だけではなく、歴史的な背景を学びながら旅をしたい方にとっては、リトアニアを外すべきではないでしょう。 旅は非日常のものだからこそ、普段感じることのできない場所へ足を運ぶ意味があるのではと思います。
おすすめスポットはこちら!
英語で発信しなければ、存在しないも同然だ
いよいよ本当に本気で本腰据えて、英語に向き合わなければならない。
学術研究においても先日の海外旅行においても、英語がうまく使えないことによる、これ以上ないほどのフラストレーションがたまっている。
すでに遅すぎるけれど、せめて今、このときから始めなくては。
そう思いながら何気なくあるサイトを見ていたら、各分野のトップ研究者への英語に関するインタビューがあって、心が奮い立った。一流の研究者でも、英語ネイティブでない限り、誰もが最初の留学、1本目の英語論文執筆で英語に泣かされ、今なお壁を感じているという事実。
たとえば社会学者・上野先生の「ネイティブの壁を越えられず英語圏で勝負するのを断念した」話とか、ノーベル賞をとった中村先生の「35歳で空港のアナウンスも聞き取れない状態で初めて留学してから、46歳でカリフォルニア大学の教壇にたつ」までのストーリーとか、元経産相の竹中先生の「今でも冠詞がわからないし、今でも毎日英語の壁を感じる」とか、中東学者の酒井先生の「国際学会で恥をかいたトラウマ体験から、今でも国際学会前は必ず悪夢を見るし、国際学会が憎い」とか。本当に、自分だけ安全圏でやり過ごそうなんて少しでも考えたことが恥ずかしい。以下、備忘録として引用。
どんな実績も、英語で発信しなければ「存在しない」も同然(上野千鶴子)
私は、教壇で「バイリンガルになりなさい」と学生に教えています。私は英語圏で勝負することから撤退したけれど、それは、英語を放棄したということとは全く違います。バイリンガルになることは、これからの時代の研究者にとっては必須の生存戦略です。生き延びるためには、強いられた言語を使うほかない。そうでなければ世界の他の地域の人たちに理解されず、存在しないに等しいのですから。英語に屈したと見せかけて、その言語を逆手にとって、日本のオリジナルな経験に基づくオリジナルな研究を発表し、これまで誰も知らなかった現実や世界を構築していくことにこそ、私たちが恐ろしいほど膨大な時間と労力をかけて英語を学ぶ意義があるのではないでしょうか。そしてこれを行わない限り、今後、日本人研究者の存在意義は失われると思います。
日本語を捨てるくらいの覚悟がなければ、国際レベルから立ち遅れる(中村修二)
私も経験があるから引きこもりになる気持ちはわかるし、英語社会で生きる心のつらさは精神分裂になってもおかしくないと想像しますが、こんな貧困な英語力では、世界を舞台にしたサイエンスなんてできるわけがない。つくづく日本の理系学生は日本語を捨てるくらいの覚悟で英語をやらなければ、日本のサイエンスは今後どんどん国際レベルから立ち遅れていくでしょうね。
(ノーベル物理学賞受賞、工学博士・中村修二、https://www.enago.jp/drnakamura/)
英語の壁があるのは仕方ない。向かっていく精神を持つしかない。(竹中平蔵)
私は学生にもよく言うんです。学会や国際会議では「真っ先に質問しろ」と。つまり、議論の流れが他の人たちによって作られると、そこに割って入るのは難しい。だから、最初に自分の土俵で議論をするように持って行くのが一つの工夫だよと。英語のネイティブスピーカーどうしが議論しているときは、逃げたくなる気持ちを抑えて、「近くに行け」と。近くに行ったら「肌で聞け」。耳で聞くんじゃなくて、肌で聞け!
(経済学博士・竹中平蔵、https://www.enago.jp/drtakenaka/)
英語圏で「言葉にできない思い」はない。言わなければ、存在しないことになる。(養老孟司)
留学時代の論文執筆は、共著が多かったです。自分の担当の章を書くときに、英語圏の共同著者に「こういうことがうまく英語で書けないんだけど」って相談したことがありました。その人、何て言ったと思う?「英語で書けないことはない」だって。つまり、「英語で表現できないことはない。言えないなら、最初から無いんだよ、それは」。日本人はそうは思わない。日本には「言うに言われぬ」とか「筆舌に尽くしがたい」とかさ、「言葉にならない感情」ってものがあるでしょ。一方、彼らは「言葉にしなければ通じないでしょ、通じないことは無視していいでしょ」という考え方。だから、国際会議に行くと、以心伝心の国の日本人は黙っているんだよ。欧米人にしてみれば、「言わなきゃわからないじゃない!」の一言で終わりですよ。
(解剖学者・養老孟司、https://www.enago.jp/dryoro/)
最後に…初心忘るべからず
英語は僕にとって、あくまでも手段であって、目的ではない。行くべきすてきなパーティーがなければ、靴ばかり磨いたって仕方ない。僕の考えていることが人に伝わればいい。
(解剖学者・養老孟司、https://www.enago.jp/dryoro/)
※冒頭画像:https://unsplash.com/collections/391068/study-english?photo=tk7OAxsXNL0
公務員退職しようかな…と悩み始めたら読むべきオススメ書籍5選(入門編)
公務員になったはいいけれど、なんだか毎日もやもやした気持ちで働いている。仕事がつまらない、人間関係に疲れた、私生活とのバランスがうまくとれない、こんなはずじゃなかったと感じる・・・
かといって、退職を決断するほど心が決まっていないし、次に何をするかも決まっていない。ただ不安と不満だけが押し寄せてきて、この気持ちをどう整理すればいいのかわからない・・・
そんな公務員退職に悩む方々に、オススメの書籍(入門編)を5冊厳選しました。
1.おとなの進路教室(山田ズーニー)
「ほぼ日」人気コラム「おとなの小論文教室。」から生まれた本。働くことをテーマに、さまざまな角度から進路や生き方、アイデンテイテイなどを考える1冊です。
2.未来の働き方を考えよう(ちきりん)
いわずと知れた大ベストセラー。「第3章 新しい働き方を模索する若者たち」では、公務員や大企業で働くことに合理性がなくなってきている、と指摘しています。時代の変化を前向きに受けとめ、新しい時代の可能性を楽しむヒントがたくさん込められています。
3.公務員、辞めたらどうする?(山本直治)
文科省(キャリア)退職後、人材スカウト業に従事した自らの体験をもとに、多くの転職知識や事例を紹介しています。
4.ニートの歩き方(pha)
会社を辞めても、仕事をしなくても、お金がなくても、幸せに生きることができる。社会のルールにうまく適応できずしんどい思いをしている人に、ぜひ読んでほしい一冊です。
5.僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?(小暮太一)
働くことは、どうしてこんなにしんどいのか。ラットレースから抜け出すために、どんな働き方を選択すべきか。考えるヒントを与えてくれます。
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困難を克服し続ける旅
先週から、北欧・バルト三国を旅している。
3回目の海外ひとり旅ともなると、いろいろ旅慣れてきて、どこへ行くにもあまり困難を感じなくなった。相変わらず英語には自信がないけど、最低限必要なことはどうにか伝わるものだ。
私にとって海外ひとり旅の醍醐味は、困難にチャレンジすることだった。見知らぬ土地で何かあっても自分一人で対処しなければならないという緊張感と、遠いところにはるばる来たという達成感、自分の常識と違うことに出会える期待感のなかで、困難に感じられることを1つ1つクリアしていくことが楽しかった。子どもの頃には日常にあふれていたはずのそういう刺激的な体験が、大人になって少なくなったように思われたけれど、2年前に初めて海外一人旅をしてから、文字通り童心に帰ったように旅に夢中になった。
それが、3回目の旅で少し変わってきたのを感じている。これまでのように、行って帰ってくるだけでは満足できなくなっている。もう一歩、現地の日常に踏み込みたい。そんな思いに駆られて、少し戸惑っている。
初めての海外一人旅は、緊張しっぱなしだった
思い返せば、初めての海外一人旅・ロンドンでは、想定されるすべてのことが不安だった。航空券やホテルをちゃんと手配できているのか、入国審査やホテルや機内で英語が通じるのか、スリやテロなどの犯罪に巻き込まれないか。とにかく警戒心むき出しで、ガチガチに緊張していた。出発の数日前から気が滅入るほどだった。それでも、この恐れを克服しなければ、これから生きていく世界がどんどん狭いものになってしまうという危機感があった。無事日本に帰国したとき、大きな開放感と充実感に満たされて、大げさにも「生きる喜び」のようなもので胸がいっぱいになったのを覚えている。旅の途中で、次はどこに行こうかと思いめぐらすほどだった。
2回目は、少し自信がついた
2回目はその1年後、チェコ・ポーランドへ飛んだ。ロンドンでは自信がなくてできなかったこと、次に克服すべき困難をリストアップして、ひとつずつチャレンジしていった。人生で絶対にやりたいと思っていた①プラハでオペラを観ること、②アウシュビッツ収容所へ行くこと等々を達成して、さらに自信がついた。ロンドンの時とは違って、少しの緊張と程よいリラックス感で旅を楽しむことができた。
3回目で、少し物足りなくなってきた
そして今回、3回目の旅は、北欧フィンランドに降り立ち、バルト海を船で縦断して、エストニア・ラトビア・リトアニアを巡っている。普通に旅をするだけなら、困難なこともはもうなくなって、国内旅行とあまり変わらない感じでのんびり日々をすごしている。自信がついたともいえるけれど、一方でそれは物足りなさでもある。
そんななか、唯一この旅で感じた困難は、もう一歩踏み込んだコミュニケーションがとりたい、ということだった。これまでは、最低限必要なことが伝わればそれでいい、独りよがりでも安全に旅することの方が大事だ、そう思ってコミュニケーションのことは後回しにしてきた。しかし今回は、本当にいろんな出会いがあった。船で隣同士になって席を譲ってあげた家族連れ、フレンドリーにいろんな話をしてくれたホテルスタッフやカフェの店員さん、1日に何度もすれ違って笑顔を交わし合ったバックパッカー。自分にもっと英語力があれば、と思う場面が本当にたくさんあった。これはたぶん、旅に余裕が出てきたからだろう。観光地を巡るのも楽しいし、食べたことのない料理を食べるのも楽しいけれど、自分ひとりで満足する旅から、人と触れ合い現地の日常を知る旅へと、興味の対象が変わってきたのを強く感じている。
この思いは、今までのような一時的な海外旅行では果たせないものだ。日本ですごす日常の中で、ただひたすらに英語力を磨いていくしかないことだ。今はただ、この悶々とした思いを持ち続けて、それを具体的な行動に変えていくことしかできない。次に私がやるべきことは、海外ではなくて日本での日常のなかにある。次に海外ひとり旅に出るときは、どれだけ力がついたか試す旅になるのだろう。そんなことを思いながら、日本への帰路についている。