LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

公務員を退職しよう!と思ったら読むべき書籍6選(実践編)

ずっと悩んできたけれど退職に向けて気持ちが固まってきた、次に何をするのか具体的に決める段階になった、今度こそ、自分の望む働き方をしたい…。

そんな、退職に向けて具体的に動き出した方々へ、おすすめの書籍を6選ご紹介します。

1.10年後の仕事図鑑

10年後の仕事図鑑

AI、仮想通貨、ホワイトカラーの終焉など、5年先すら予期できない仕事、会社、社会、キャリアの未来について、本書では「消える職業」「生まれる職業」など含め、50近くの職業の未来を紹介する。新進気鋭の日本人研究者落合陽一氏と、圧倒的な行動力で時代の最先端を走り続ける堀江貴文氏がお金、職業、仕事、会社、学校など、新たな社会の姿を余すところなく語る。

ワークライフバランス(仕事と生活を区別し、その調和を図る)ではなく、ワークアズライフ(仕事と人生を区別しない。寝ている時間以外はすべて仕事であり、その仕事を趣味あるいは人生そのものと考える。)の仕事を選び取るためのヒントが凝縮されている。

2.生産性(伊賀泰代)

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

かつて日本企業は生産現場での高い生産性を誇ったが、ホワイトカラーの生産性が圧倒的に低く世界から取り残された原因となっている。生産性はイノベーションの源泉でもあり、画期的なビジネスモデルを生み出すカギである。本書では、マッキンゼーの元人材育成マネジャーが、いかに組織と人材の生産性を上げるかを紹介する。

ここで例示される「生産性の低い職場」は、公務員として働いた経験のある者ならば心当たりのあるものばかりだ。そこから離れようとするあなたの感性が間違いではないことを教えてくれるし、退職後の新しい仕事・働き方の生産性を考えるチェックリストにもなるだろう。 

3.逆転の仕事論(堀江貴文

あえて、レールから外れる。逆転の仕事論

既存の常識や考え方にとらわれず、新しいチャレンジをして、今までになかった価値を生み出す「イノベーター」8人を、堀江貴文氏が紹介する。彼らはなぜ、過去の成功や実績に安住せず新たな挑戦を続けられるのか、その理由に迫る1冊。

4.ノマドワーカーという生き方(立花岳志)

ノマドワーカーという生き方

場所を選ばず雇われずに働く人の生き方や、そのセルフマネジメント方法に関する1冊。公務員ルーティーンのストレスから、1日の過ごし方をすべて自分で決められたらいいなぁ、あれもこれもやれるのになぁ、などと漠然と思っている人も多い。そんな日が得られても、セルフマネジメントができていなければ、結局なにもせずぼんやり日々が過ぎていくことになりかねない。柔軟性の高い働き方をしながら、きちんと成果をあげていくための方策がちりばめられている。

5.女は後半からがおもしろい

女は後半からがおもしろい (集英社文庫)

東大出身の元官僚・坂東眞理子氏と社会学者・上野千鶴子氏の対談集。坂東氏が語る公務員の世界は、今も昔もたいして変わっていない。逆を言えば、今後も大きく変わることが難しい世界なのだということを突き付けられる。坂東氏は「仕事を手放さずに、仕事にコミットしなくてもいいから、マイペースで続けなさい」とも語っていて、退職について悩んでいる女性公務員には、自分の考えを整理するのに役立つ1冊になるだろう。

6.1勝100敗!あるキャリア官僚の転職記

1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記 大学教授公募の裏側 (光文社新書)

倍率数百倍の大学教員公募に落ち続けた筆者が、現実に打ちのめされても立ち上がり続けた転職戦記。公務員退職後に大学教員を目指す方には、必読の1冊。

退職を悩んでいる…という方はこちら!(入門編)

日々を紡ぐ

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子どもが生まれた。もう3か月になる。

まだまだ油断できないけれど、そっと息を吐けるくらいには落ち着いてきた。

順調だった出産から3日後、退院前日に我が子の呼吸が止まって、そのまま大学病院のNICUに搬送された。そこから始まった怒涛の日々。翌日は私だけ産科病院を退院し、以後は毎朝9時、12時、15時、18時の授乳時間に合わせて車で20分の大学病院に通った。ずっと一緒にいたかったけれど、産後ボロボロの体にパイプ椅子しかないNICUでの数時間はこたえたし、順調に減っていた悪露が搬送後に増えてトイレに行くたび大量出血していた。1日が終わると意識が遠のくような疲れで、骨も筋肉も何もかも痛かった。それでも子どもの側にいないと不安で涙がとまらず、会いたい気持ちだけで毎日病院通いをした。

その後NICUでいろいろ検査をして、異常がないのでもう少し経過観察したら退院ですと言われ、心から安堵した矢先。お話がありますと笑みのない顔で主治医がやってきて、今度は先天性の疾患が見つかったと告げられた。それはほぼ一生、病院と付き合っていかなければならないものだった。必死に保っていた糸がここでプツンと切れてしまい、その日は一晩中泣いた。翌日持っていく母乳を、泣きながら搾乳した。

病院では、まだ居たい帰りたくない離れたくないという私を、産後休暇中の夫がひっぺがすように家に連れ帰り、ごはんを食べさせベッドに寝かせ、授乳時間になるとそっと起こして車に乗せて病院まで運んでくれた。夫は、「いま子どものことで必死なちゃいちゃんの体を守る人がいないから、それはおれがやるよ。ちゃいちゃんは安心して子どものことを考えていいからね」と言って、実際そのとおりに行動した。普通に産まれて退院して家に帰ることが、こんなに大変なことだなんて知らなかったね、と二人で話した。

この間、私は人生で初めて文字を読むことができなくなってしまった。曲がりなりにも研究者の端くれで、本の虫だった私が、活字から情報を得ることができなくなった。正確に言えば、診断書など我が子に関係するものは読めるけれど、それ以外の本や資料、看板の文字は、頭に残そう・記憶しようなどと思っても目から後頭部にそのまま抜けていく感じで、子ども以外の情報がすべてシャットアウトされてしまう状況だった。テレビも同じで、映像も音楽も体を抜けて、まるで景色のようだった。帰宅後に夫がテレビをつけて見ている姿を見て、あ、夫はテレビ見られるんだな、父と母では違うんだな、とぼんやり思ったりした。

その後、経過も順調で、疾患のための服薬指導も受け、出産から数週間後にやっと家に連れ帰ってきた。入院中は険しかった我が子の顔が自宅では穏やかになり、ずっと抱っこしていないと泣き止まない甘えん坊になった。それは入院中の寂しさの表れに思えて、すやすや眠っている顔と同じくらい泣き顔も愛しく大好きになった。

病気のことを受け入れ、慣れない育児や夜泣きにあたふたしながら、子どもが笑っていればそれでいいと思ってやってきたこの数か月。それは産前に想像していたよりずっとハードで、想定外のことばかりで、でもその苦しみを差し引いてもあまりあるほどの幸せな日々。これからもいいことばかりではないかもしれないけど、毎日は続いていく。

 

数日前、以前にここで書いた末期ガンの夫が亡くなったことを知った。穏やかで幸せな毎日は永遠に続くわけじゃない。産まれる命と死にゆく命の、表裏一体の尊さに胸が締め付けられる。

広い情報の海の彼方から、心よりご冥福をお祈りします。


Photo by Janko Ferli on Unsplash

公務員として働いて良かったこと

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このブログではこれまで、公務員退職者として思うこと、とりわけネガティブな方面のことを書き綴ってきた。けれど今振り返ってみて、公務員として働いて良かったと思うことも、少なからずある。いくつか、思い出しながら記録してみたい。

業務をマニュアル化・整理するスキルを身につけた

これは、他の仕事をしていても役立つと感じる点だ。

公務員はいつなんどき人事異動があるかわからない。定期異動でも、数年に1回のペースで必ず仕事が変わる。だからこそ、自分がしている仕事を、翌日から別の職員が引き継いでも全く問題ないように整えておく必要がある。このとき「私の仕事は誰でもできる仕事ではないから、マニュアル化などできない」とか「私だからこのような成果が得られたのであって、それを他の人に教える義理はない」などと考えているのは、仕事のできない公務員である。日々の課題を解決しながら、それを誰にでもできるよう分解・整理し、後任者にスムーズに引き継ぐところまでが、公務員の仕事である。

具体的には、

  • ルーティーンの仕事をマニュアル化し、
  • イレギュラーな出来事は業務報告として記録・保存し、
  • 文書(紙もデジタルも)は組織内で統一化された名称で整理、保管場所を明示し、
  • 前任者から渡された業務引継書類は、日々更新し続ける

私自身、新転地に異動したその日から次の異動に備えて、日々の業務を行いながら定期的に引継書を更新していた。日々新しく起こる課題を解決しながら、そこに共通する問題点や解決策を整理・抽象化して、次に似たような問題が起こったとき誰でも対応できる状態にしておく方法を学べたことは、公務員として働いてよかったと思う点である。

これがいま他の仕事でどう役立っているかといえば、業務分散による組織全体の業務効率化の効果が大きいのでは、と感じている。いまは小さな組織にいて、公務員の時ほど徹底したマニュアル化や定期異動に備えた体制は必要でない。しかし、業務が立て込んでくると、自分がすべき仕事と他の人に振るべき仕事を選別しなければならないことが出てくる。このとき、日ごろから他の人にやってもらえる仕事をマニュアル化して渡しておけば、スムーズに仕事を割り振れるというメリットがある。急に仕事を休まなければならなくなったときも、いちいち電話やメールで細かく指示を出さなくとも「あれを見て」と言えばそのとおりに進めてもらえる。これは、立場が上になるほどますます必要になってくるように思う。

働きながら大学院に通えた

先日、学部生の進路相談に乗った際に「公務員と大学院進学で悩んでいる」という学生がいた。私は、選べないならどちらもやればよいのでは、と答えた。

公務員は大学院進学について比較的、職場の理解が得られやすい方だと思う。それに、大学院での専門が公務員としての仕事に付加価値をつけてくれる。大きな組織の中で、そういう強みを持って働くことは、組織にとっても自分の精神衛生にとっても、結構重要だと思う。もちろん、二足のわらじを履いて仕事がおろそかになる、というのは本末転倒だから、体力的・精神的にやっていけそうかどうかはよく考えた方がいい。

加えて、大学院には私費で通った方が良いと感じている。(今は昔ほど多くはないが)公務の一環として大学院に通うことが許される人もいる。公務の一環であれば、給料が保障された上で、業務時間まるまる勉学に充てることができるので、それを狙っている職員も多いだろう。いっぽう私は、あくまで業務終了後のプライベートな時間に私費で通学することを選択した。その理由は、①研究テーマを自由に決めたかった(業務内容に制限されたくなかった)から、②いつ出るか分からない人事異動を何年も待つよりも、自分が行きたいと思ったタイミングで行くべきと思ったから、である。自分の興味関心を第一優先にした結果、研究の方が楽しくなって、結果退職することになったしまったわけだが、この選択は間違っていなかったと思う。

周囲が無条件に安心し、信頼し、理解してくれた

これは公務員を退職してから、より感じたことだ。

公務員というだけで、周りが「この先も安泰だね、心配ないね」と安心してくれたし、初めて会う人にもなぜか最初からある程度信頼してもらえた。

それが退職した途端、急に私の行く末を心配し、求めてもいない助言をしてくれる人が現れるようになった。私個人としては、むしろ公務員時代の方が悩みが深かったにもかかわらず、その悩みから解放されたとたん考え直せと言われるのは煩わしかった。逆に言えば、公務員でいさえすれば誰も心配しないので、知られたくない自分の悩みをあえて明かす必要もなく、自分にとっては好都合だったのかな、とも思う。

また、以前は「公務員です」の一言で何となく理解が得られていたけれど、今は自分が何者であるか言葉を尽くして説明しなければならなくなった。個人的には、そういう今の状態の方が健全だと思っているけれど、社会的にはまだまだ公務員に対する固定化したイメージがあって、それに良くも悪くも自分のイメージが左右されてしまう現状がある。

省庁の名前をバックに、いち個人ならば会えないような人と一緒に仕事ができた

省庁名が入った名刺を持って挨拶すれば、本来なら大学卒業したての若手が絶対に会えないような人や行けないような場所で仕事ができた。単にこれは、虎の威を借るキツネ状態の薄っぺらいメリットだけれど、そういう舞台を踏めたことは単純に貴重な経験だったなと思い出される。大企業の社長から助言を受けたり、新進気鋭の若手起業家と語り合ったことは、これからの長い職業にとって大きな財産になったと思う。

 

Photo by karl chor on Unsplash

公務員時代にストレスだったこと(仕事、休み、人間関係)

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最近、ブラック労働とか働き方改革の記事などを見るにつけ、自分が公務員として働いていたときのことをいろいろ断片的に思い出すことがある。

とても不思議で無意味なルール・慣習が多かったなぁと、当時も今も思う。

疑問に思うなら自分はそれをしないという選択肢もあったけれど、当時の私は、その空気に抗して無駄なエネルギーを消耗するくらいなら、あまり考えずに心を閉じて従ってしまおうと思っていた。それくらい些末なこととして自分の中で消化してしまわないと、精神が疲労するのが分かり切っていたから。

あえて「しない」ことを選んだだけなのに、そういう配慮が「できない」人だと思われるのが嫌だ、という世間体を気にするような気持ちもあったかもしれない。

でもそういう、本心とは異なる些細なことを積み重ねるうちに、確実に心が死んでいったのも事実。

そんなことを、思い出しながらポツポツ書いてみようかと思います*1 

仕事について

形式的な仕事や内向きの仕事が多かったこと

公務員時代は、直接アウトプットにつながらない内向きの仕事、すなわち組織内で決裁権者を納得させるためだけの形式的な資料作成とか、他部署を動かすためだけの内部資料とか、されてもいない質問や起こってもいないことをあらかじめ想定して作っておく対応集とか、ありとあらゆる「内部資料」の作成が求められた。

組織が大きければ大きいほど内部調整が難しくなり、稟議制の過程で内向きの仕事が増えていく実態があって、1のアウトプットを出すために100の予備資料が存在することもあった。これらのほとんどは、アウトプットに直接生かされない(組織外に出してはいけない)ことを前提に作成されていた。

もちろん公務という仕事柄、公平性や一貫性、正確性を保つためにやむを得ないこともあると、当時は理解しようとしていた。それでも、やっぱりこんなことをしてたんじゃ、いつまでたっても仕事は減らないじゃないか、という思いをぬぐえなかった。

何よりも、組織内の調整のため仕事を積み重ねることにやりがいを感じられず、徒労感ばかりが先立って、自分が消耗していくのを感じる日々だった。

個人として、仕事の成果を残せないこと

大きな組織の中にいると、仕事の成果に社員の名前が入ることはめったにない。ある仕事について自分が社内一詳しくなって、課題解決のための新しい仕組みを作ったり、外部へ発信できる形にまとめあげ、成果をあげたとしても、最後に自分のサインが入ることはほとんどない。それはひとえに、私の成果ではなく会社の成果とされるからである。その代わり、何か問題が生じたら、社会に対して責任をとるのは会社になる。(もちろん私個人も処分されるが、あくまで内部的にということになる)

大学院で修士号を取得してから就職した自分にとって、これは少し違和感を感じる出来事だった。ふつう研究活動では、私が書いた論文には私の名前が入り、その成果も責任も私がとることになる。フリーランスで仕事している人もそうだろう。

でも組織では、自分の名前が入らないことに対する疑問を持つ人はなく、むしろ入らない方が有り難い、入っては困るというような仕事観があった。どこか、みなが自分の責任を回避して、いつでも逃げられるように、まるで他人事のように仕事をしているように見えた。自分の成果物に自分の署名が入り、外部に対して自分がその責任を負うことが当たり前だった私にとって、それは個が埋没していくような虚無感を感じる経験だった。

 

休みについて

計画的に有給休暇を取得した翌日、「昨日はお休みをいただいて、ありがとうございました」と上司に挨拶して回らなければならなかったこと

突然の有給取得ならば、職場に迷惑がかかっている場合があるので理解できるけれど、事前に申請していた休みの場合でもこういう形式的な慣習があった。さらに、独身の若手だったりすると、遊びに行ったの?リフレッシュできた?などと、コミュニケーションの一環だという顔でプライベートに立ち入られたりして、うんざりだった。

とはいえ、それを無視したり嫌な顔をするようでは、こちらのコミュ力に問題があるように思われるのではと考えてしまい、ヘラヘラ適当に交わしていた。そういう自分にも疲れていたように思う。

昼休みや定時後も、来客対応や電話対応が当たり前とされていたこと

昼休みに来客があったり、電話が鳴ったら、率先して対応すべきと教育された。それは勤務時間終了後も同じで、その分だけ残業を余儀なくされた。一般の方からの問合せにはいついかなる時も対応せねばならないという、この滅私奉公的な空気がとても嫌で、昼休みは職場から離れて外で昼食をとるようにしていた。

仕事で昼食を食べ損ねて、昼過ぎに職場の食堂に行くと「職員がサボっている」と言われること

それでも、やむを得ない事情で昼休みに対応が必要になり、昼休み時間を過ぎてしまうことがあった。午後の業務が始まっている職場で一人食事をするわけにもいかないので、手早く食べて仕事に戻ろうと、やむを得ず職場の食堂などに行くと、外部からランチしに来ている一般の皆さんにジロジロと見られたりして、とても気になった。過去には投書された事例もあるとか。

 

人間関係について

職場の飲み会を欠席するときは、上司に欠席理由とともに謝罪を伝えなければならない

職場では、定例の飲み会が年に数回以上催される。これを欠席するには相応の理由が必要とされ、特に若手職員の場合は上司がたくさんいるので、その全員の席を回って欠席理由と謝罪を伝えるのが礼儀とされていた。これをしなかった場合、飲み会の翌日に「昨日はなぜ来なかったのか」と冗談めかして詰め寄ってくる上司もいた。業務終了後の飲み会ですら、ほうれんそう(報・連・相)が求められるストレスはなかなかのものだった。

年末の勤務最終日は、帰る直前に上司・同僚すべての席を回って、年末のご挨拶をしなければならなかったこと

年末の勤務最終日に帰るときは、まだ職場に残っている上司・同僚の席を順番に回って、今年もお世話になりましたと年末の御挨拶をしなければならない慣習があった。年始も同様で、最初の勤務日に全員の席を回って、今年もよろしくお願いしますと挨拶を交わさなければならなかった。挨拶される側も、そのつど起立してこれに応えるものだから、なかなか仕事が始まらない。いったい誰得だったのか。

出張前に、いちいち上司に挨拶してから出発しなければならないこと

もともと出張が決まった時点で、前もって上司に出張の概要を伝えてあるのに、なぜか出発前の急いでいるときにも同じことを繰り返さなければならない慣習があった。ちょっと数時間外出して、その日のうちに戻ってくるような出張でも、そうするよう教育された。

来客時のお茶くみを、平気で同僚女性に頼む男性職員がいること

平成の世になってなお、しかも同世代の男性職員に、こういうタイプが複数いたのがとても残念だった。私の方が後輩だったというだけで、役職などは全て同じ条件で採用されているにもかかわらずである。もちろん、どこか済まなそうな顔と、ごめんねありがとうなどの言葉が添えられてはいるものの、このご時世に、しかも若い世代で、これを良しとする価値観を持った人間が同僚なんだな、と心底幻滅した。今なら、変わり者だなぁ、関わらないようにしようと思って終了だけど、入省当時は特に、自分の能力や価値まで同レベルに思われてしまう、貶められてしまう、というような変な仲間意識があったように思う。

 

 

書いてるうちに芋づる式で蘇ってきて、なんだか愚痴っぽい感じになってきた。とりあえず今日のところはここまで。

Photo by Alicia Gauthier on Unsplash

*1:公務員全体の統一的な慣習ではなく、あくまで私のいた部署での経験です。反対に、公務員だけに限定されない、一般企業にもよくある話が含まれているかもしれません。あしからず。

AIが台頭したら、文系研究者はもういらない?

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最近、自分の10年後の姿が具体的にイメージできなくなってきている。

公務員だったころは、隣の席を見れば数年後の自分、隣の隣を見れば5年後、10年後、という具合に、退職までの人生がある程度見えていた。それが良かったかというと、そんなことは全然なくて、公務員を辞めたのはその予測できる未来に心底絶望したからでもある。

そしていまは反対に、予測できない未来の世界から零れ落ちないようにどうすべきか、期待と不安をもって日々考えている。こうなっていたらいいなという願望とか人生計画みたいなものは、もちろんある。でも、10年後にその仕事が存在しているのか、ニーズがあるのか、自分が目指すべき方向がこれでいいのか、考えてしまうことが最近よくある。その要因の1つが、AIの台頭だ。

社会の様々な問題をテクノロジー(AI)で解決できるようになったとき、理系研究者にはそのテクノロジーを進化させていくニーズがあるけれど、文系研究者には何ができるだろうか。文系研究者はいらなくなってしまうのか。そんなことを考えてみたい。

 

AI時代に、文系研究者に求められること

テクノロジーを活用した先にあるビジョンを明らかにすること

先日のブログにも書いたように、AIがとって代われない仕事は、ビジョンを語ることであり、何を実現したいかというモチベーションを持つことこそが人間の役割である。テクノロジーは私たちの生活を豊かにするが、どういう暮らしを求めるかは、人間の価値観や欲望や幸福度と直結している。これこそが、人文社会科学が長い歴史のなかで考えてきたことである。

数学や科学の問題には、最終的に決まった答えがある。答えに行きつくまでの過程が異なっても、最後には絶対的な答えがある。しかし人文社会科学系が直面してきた問題には、絶対的な答えがない。そこにこそ、AI時代に人文社会科学の生きる道がある。

テクノロジーがどう社会に役立ち、どう生活に影響するのか、わかりやすく説明すること

この社会には、テクノロジーによる変化を受け入れない人々が一定数いるということを忘れてはいけない。テクノロジーを有効活用することによるメリットやリスク管理について、一般向けにわかりやすく粘り強く説明することは必須である。ときに哲学の視点から、文学の視点から、社会学の視点から、経済学の視点から、あるいはこれらを組み合わせて説明することができれば、これは強みである。

Biz/Zineの記事にもこんな言及がある。

「セルフドライビングカーが人を轢き殺した時に誰が責任を取るべきなのか?」「AIを搭載したロボットが人を傷つけた場合にロボットは責任を負うべきなのか?」「どのような条件を備えたときにロボットに意識があると言えるのか?」「AIが音楽を作曲した時に、誰が創造したことになるのか?」 といった議論が話題になっている。私たちはまだ、「意識とは何か?」といった問いに対する答えが得られなくても、別段不便を感じることなく日々の生活を営むことができる。だが、高度な自律性を持つAIやロボットが出現したあかつきには、責任や意識、創造などに関する根源的な問いに誰しも直面せざるを得なくなる。

 

AI時代に、文系研究者が身に着けるべきこと

AIに関して論じられるだけの知識・情報を更新し続けること

これができる文系研究者はまだ圧倒的に少ない。AIの開発から普及までのすべてを、理系研究者任せにしている現状がある。もちろん各々の専門に対するリスペクトは最低限必要だが、究極的には、文系だから説明要員、理系だから開発要員、というような単純すぎる認知の壁、偏ったすみ分けを乗り越えていく気概がなければならない。

学際領域でAIが抱える問題に対処すること

学際とは、異なる学問分野がまたがって関わり合うことを言う。哲学だけ、経済学だけ、社会学だけ、という専門バカでは対応できない時代が来ている。人文社会科学系学問(ひいては理系も含めて)が有機的に連携し合って、問題解決に当たらなければならない。

翻って自分の状況を客観的に見ると、専門以外の研究者とのつながりが圧倒的に少ない現状がある。他分野・他学部の先生と学会などで一緒になっても、それで終わってしまって、そこから共同プロジェクトを進めるような流れになることはまだ少ない。自分には、攻めの姿勢が足りないんだなぁということを改めて自戒する。

 

まだまだ考えるべきことがあるけれど、今日のところはここまで。

 

Photo by Lukas on Unsplash

公務員を退職して2年、働き方はどう変わったか

公務員を退職して、2年が過ぎた。

その間、働き方はどう変わったか(変わりつつあるか)。

そのメリット・デメリットはどうか。

実際にやってみて、新たにどんな壁にぶつかっているのか。

ここでちょっと整理してみたくなった。

 

働き方はどう変わったか

非常勤だけど、好きな仕事(研究職)に就いた

個人的な理由で職場と住居が離れていて、常勤で働くならば単身赴任しかないという事情があって、非常勤に甘んじている。とはいえ、家族と一緒に暮らしながら、好きな仕事を好きな時間に進めることができる今の働き方は、それほど悪くないと思っている。

  • メリット:好きな仕事だから充実感がある。1つ1つの仕事が自分の実績として積み重ねられ、研究者としてスキルアップできているという実感がある。出勤日以外は、自分の裁量で好きな時間に作業を進めることができる。自由な時間が増え、ノンストレス。職場は、住んでいる場所からは飛行機に乗る距離なので、出勤が旅行感覚で気分転換になってとても良い。
  • デメリット:薄給。
  • 新たな課題:非常勤の立場に安穏とせず、そろそろ次のステップに進まなければ、このままの給料では暮らしていけない。家から通勤可能な場所に常勤の仕事を見つけたい。

研究活動で培ったスキルを利用して、個人事業主になった

研究活動で身に着けたデータ解析などのスキルを利用して、クラウドサイトから個人で仕事を受注するようになった。最初のうちは実績がないから、コストに見合わない仕事も安く請け負うしかなかったけれど、実績を重ねるにつれて常連で仕事を任せてくれる顧客も現れるようになってきた。3月には、個人事業主として初めての青色申告も経験。

  • メリット:どの仕事を、誰と、いつするかを自分で選べるようになった。組織に属さなくても、個人でお金を稼げるという自信がついた。大好きな旅行のスケジューリングがしやすくなり、家族との時間も十分に持てるなど、日々の生活を自分の満足度でアレンジすることができるようになった。
  • デメリット:(私が受注できる仕事に関して)そもそも発注が少なく、継続的かつ安定的に稼ぐことができない。月ごとに収入にムラがあり、お小遣い程度の小金を稼ぐことしかできないときも。現状、これだけで食べていくことは困難。
  • 今後の課題:少ない発注を待つことしかできず、まったくの受け身状態になっていることが悩み。受注するときは、どうしても他のフリーランサーとの競争になり、結果として買いたたかれる状況になったりもする。与えられた仕事を受けるという仕組みではなく、自ら仕事を創造する仕組みを構築しなければ、一生安く使われ続けるか、いつか仕事がゼロになってしまう。模索中。

大学で専門分野の非常勤講師をすることになった

大学教員になるためには、ある程度の教育歴が必要になる。これまではなかなか非常勤講師としての勤務先が見つからず焦りもあったが、いろいろアピールしてきた結果、運よく国立大と地方私立大で3科目の枠を得ることができた。

  • メリット:教員公募に必須の教歴を確保できる。これまでのインプット中心だった研究生活から脱して、アウトプットに重点を置けるようになる。新しい大学で新たなつながりを得ることができ、研究の幅を広げることができる。
  • デメリット:現状では特になし。
  • 今後の課題:自分が学部生の頃とは、大きく時代が変わっている。基礎理論は不変としても、講義の到達点や大学に通う意義、学ぶべき内容は変わってきている部分がある。公務員からフリーランスになり、紆余曲折を経て教員になった私だからこそ伝えられることは何なのか、日々考えている。

 

自分をどう運用していくか

そんなわけで、研究・教育・個人事業主という、3つの柱ができつつある。これは、兼業不可だった公務員時代には想像できなかったことだ。本来はこうあるべき、こうしたいと思っていた状態に近づいていることは確かである。

しかし、新たな悩みは尽きない。これら3つの柱を有機的に組合せながら、より個人の活動にシフトしていきたいと思っているものの、現状では3つがそれぞれ別個に存在している状態。

ただ研究をするだけでなく、自ら資金調達するなどしてそれを社会に還元し、学生や他の専門家などと協働して、社会実装するところまでやり切りたい。

そう思うけれど、どこに向かっていくべきかのビジョンが今はまだよく見えていない。インプットばかりで情報メタボになり、アウトプットをしてこなかった代償だと思っている。

堀江貴文・落合洋一「10年後の仕事図鑑」のなかで、ビジョンやモチベーションについてこんな言及がある。(一部要約)

 これからは経営者がトップダウン方式で労働力をあてはめる考え方ではなく、労働者=経営者として価値あるものを共に作ろうとする考え方になっていく。

 このとき経営者の仕事として、AIがとって代われない仕事は、組織にビジョンを語ることである。AIはある意味で指示待ちであり、何を実現したいかというモチベーションを持つことこそが人間の役割である。そのゴールが与えられれば、あとはAIが立ちどころに処理する。人間は仕事を創る側に立つんだというマインドセットが必要。

 モチベーションを価値に落とし込むには、①言語化する能力、②論理力、③思考体力、④世界70億人を相手にすること、⑤経済感覚、⑥世界は人間が回しているという意識、⑦専門性、が重要である。

研究・教育・個人事業の3つ(もしくはそれ以上)を掛け合わせて、それぞれの価値を循環させ、それをお金に換えていくような仕組みをどう作っていくか。自分の持ちうる価値をどう運用していくか。2年経って、それが目下の課題になっている。

10年後の仕事図鑑