LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

こんなはずじゃなかった〜NHK ETV特集

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NHKETV特集を扱う担当部署が解体の危機と聞いて、思いのほか落胆している。クオリティの高い番組が多く、なんだかんだでこれまで割と欠かさず見てきた。意識したことはなかったが、考えてみると、ETV特集を見るために受信料を払っているようなところもあったかもしれない。唯一、能動的かつ継続的にNHKを見るモチベーションだったと言ったら言い過ぎだろうか。応援する意味も込めて、印象的だった回を思い出しながら書いてみる。

 

「こんなはずじゃなかった」医師がガンになったとき。

NHKドキュメンタリー - ETV特集「こんなはずじゃなかった 在宅医療 ベッドからの問いかけ」

2017/7/15放送。「自宅の畳の上で死ぬのが極楽」という信念のもと、在宅医療を先頭に立って推し進めてきた老医師・早川一光氏。しかし自身がガンになって自ら作り上げた手厚い医療・介護を受けながら「こんなはずじゃなかった」と言う。なぜか?

施設から在宅、地域へと移行している医療介護政策のなかで、非常に興味深いテーマだった。

病気さえ治したらみんな患者さんは幸福になると思っていたら、どうもそうじゃない。病気は治したけども、その方が持っている暮らしの苦痛・心配事というのは、単なる医者では治らない。臓器を治すのではなくて患者さんの生活を治さんとあかん。人間をみる場合は、病気はもちろん、その方の生活を、悩みと苦悩、喜びも悲しみも一緒に見守ることが大事じゃないかと思うと、医学だけでは人は救えない。

自宅に戻っても、介護ベッドが入ったリビングやヘルパーに介助されて入る風呂が、まるで自分の家と思えない。何処かに連れてこられたような感覚は、ガンになって初めて知るものだったという。次第に、これは極楽ではなく地獄なのではないかと考えるようになる。

「さみしい。」病気をしてから、僕の胸を何度もよぎる感情です。心の奥深いところで常に流れている、この「さみしさ」を知ったとき、僕は驚き動揺した。「畳の上の養生は極楽」と、在宅療養を語ってきた。けれど畳の上にも天国と地獄、どちらも存在していることを知った。

自宅で、次男夫婦や孫たちとにぎやかに暮らし、定期的に訪問診療を受ける暮らし。病気による苦痛はあるけれど、晩年の暮らし方としてこれ以上ない満ち足りた暮らしに見える。しかし、それを「畳の上の地獄」と表現する。医療は、どこを目指して進むべきなのか。

老いと死に向き合うための人間学

そして早川氏は「総合人間学」にたどり着く。人間とは何かを問い直し、医学だけではなく生活科学や経済学、心理学などあらゆる領域を統合した「総合人間学」が、医師になるには絶対通らなければならない領域という。しかし、70年の医師生活と晩年の闘病生活を経ても、なおそれを言葉にして表現できずに苦悩する様子が描かれる。

「総合人間学というのは何だ」と言われると、もう僕は次が出て来ずに「ある。あるんだ。」俺は求めたけど、掴もうと思ったらもう煙のごとく消えてる。(中略)手を開いたら、ないという。それはいったい何だろうという。

早川氏が最も嫌だったという入浴介助をはじめ、あらゆる介護は、いつかテクノロジーに置き換わると思う。もどかしさや屈辱感を和らげて、より快適に介護を受けられる日は近い将来やってくるだろう。慣れ親しんだ自宅で、医療技術により苦痛が和らげられ、快適な介護を受けられるようになってもなお、私たちはきっと「足りない」と言うだろう。技術革新が起こって、社会の仕組みが変わっても、老いと死は避けられず、この悩みに対処するには、私たちの幸せの基準が変わらざるを得ないからだ。自分の幸せをどう定義するか、その基準や価値観はどこまでも自分が決めるしかない。弱音を吐いて諦めるか、這いつくばって最後まで悩み抜くか。早川氏は、後者だった。弱音とも取れる人間味あふれる言葉に、人間の底知れぬ強さを感じた。

枯れていくんやない、熟れていくんや。僕もだんだん動けんようになっていくやろう。でも、できるだけ熟していきたい。常に頭を柔らかくし、たくさんの人に食らいついてもらいたい。

 

Photo by Kristina Tripkovic on Unsplash

 

 

アウシュビッツ収容所を巡る旅・5つの心得

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実際にアウシュビッツ収容所を訪問してみて、これから訪問する人向けの導入編として、心得のようなものをまとめてみたいと思います。

 

1. アウシュビッツ収容所は、最低でも2日かけて回ること!

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実際に行ってみて、アウシュビッツ収容所は2~3日かけて回ることをオススメします。見るもの・感じること・考えることがたくさんありすぎて、せっかく現地まで行ったのに、1日で見た気になってしまうのはもったいない。おすすめは、

1日目に、唯一の日本語公式ガイド・中谷剛さんと主要な場所を回り、
2日目は、自分の足でゆっくりと収容所のすべてを見て回る

というもの。もし3日目まで余裕がある人は、現地窓口で予約可能な英語のツアーガイドを申し込むのも良いと思います。他言語だとどういう説明になるのか、違いがあるのか、いろいろ気づくことも多いでしょう。

 

世界には、見どころのある場所がたくさんあります。もちろんポーランドにも、きれいな観光地がたくさんあります。でも、アウシュビッツは唯一無二の場所。とりわけ、アウシュビッツで中谷さんという稀有なガイドから説明を受けることは、これ以上ない経験になると確信します。これから博物館を訪れる方は、その絶好の機会を逃すことのないよう、しっかり中谷さんの予約を取ってから行ってきてください。

ガイドの予約の取り方など、事前準備については下の記事で書いています。

2. 展示より写真撮影より何より、1回目はまずガイド中谷さんの説明に集中すること!

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初めてアウシュビッツを訪れると、ガイドの説明内容の濃さと館内を巡るスピード、展示の情報量の多さ、そして収容所全体に流れる息苦しい空気感、それらのすべてに、とにかく圧倒されます。圧倒されて、浮足立って、とりあえず写真を撮ってみたり、ガイドが説明しなかった展示をチラチラ気にしているうちに、注意散漫になって一度きりの説明を聞き逃したりします。

そこで、まず1回目は、中谷さんの言葉を聞き漏らさないよう、集中して耳を傾けることを強くお勧めします。写真撮影や展示の説明をじっくり読むことは、あとでいくらでもできます。それが、この場所に2日間を費やす醍醐味でもあります。とにかく、ツアーガイド中は説明に集中して、心に引っかかることはたくさんメモをとって、たくさん考えることです。

中谷さんは本当に守備範囲が広く、気になることはその場で質問できるし、質問したほうが話が広く深く発展していくので、その豊富な引き出しをたくさん開けることをお勧めします。それだけの価値が中谷さんの説明にあって、日本でどれだけ本を読んでも映画を見ても、ここでしか学べないことがあります。日本のすべての人に、できるだけ若いときに、経験してほしいと強く願います。

3. アウシュビッツ収容所は、見る場所でなく考える場所である

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ガイドツアーで収容所を巡ると、スピードも内容も濃すぎて頭はフル回転だし、こみあげる涙を何度も飲み込んで、激しく頭と心が消耗してしまいます。特に展示物はショッキングなものが多く、うず高く積まれたユダヤ人の靴や毛髪などはTVでも見知っていたけれど、実際に目にしたその日の晩は、あまりのショックと疲労で眠れませんでした。

そして翌日、一人で収容所を回ったときの気分の落ち込みは、さらに酷いものでした。いちど見ているにもかかわらず、途中で気分が悪くなってしまう。それに比例するように、2日目になると思考はさらに広く深くさまよっていく感覚がありました。前日のガイドの説明をより深く理解できたり、新たな疑問が湧いてきてその場でスマホを取り出して調べたり、それでもわからないことはメモをとって考えながら歩を進めました。戦争、差別、自分の政治参加や投票への意識、ヘイトスピーチへの態度、難民問題、戦地ジャーナリストに対する自己責任論…。アウシュビッツの歴史が、今に確実につながっていて、なお歴史を超えられていない現状について色々と考えを巡らせる貴重な機会となりました。

印象的だった出来事。ビルケナウの第2収容所にある有名な長い線路の上を、爆笑しながら歩いている高校生くらいの女の子たちに出会いました。言葉がわからないのでどこの国の子か分からないし、話の内容も分かりません。これだけのものを見て、この場所に立って、どうしてそんな笑い声をあげることができるのか。なんというか、根本的な価値観の相違というか、断絶というか、わかりあえない絶望感のようななものでいっぱいになりました。でも次第に、そういう人がいるというのもまたこの世界が多様であることの証明なのだと思えてきて、それを受け入れられない・排除したいと思うことこそが過ちの繰り返しなのだと気づきました。そういう人もいるけれど、そういう人が多数派になって取り返しのつかない過ちを犯すことがないように、私たちは考え行動し続けなければならないのでしょう。

4. 疲れたら、館内食堂で名物ジュレックを飲んでひと休み

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アウシュビッツへの訪問は4月の初旬。セーター+ダウンコートでも寒くて、特に2日目は雨も降っていて手がかじかむほどでした。これ以上に寒いなか薄着で強制労働させられてたのかと思うと、言葉を失います。一人でぶらぶら見学したのは3時間程度でしたが、寒気がして頭が痛くなるくらい全身クタクタになりました。

博物館の敷地内には、食堂や小さなブックストア、トイレなどが併設されたレンガ作りの建物があります(画像左)。ツアー開始や帰りのバスの待ち時間などに気軽に利用できます。カフェで飲んだジュレック(ポーランド名物のスープ)が感激するほどおいしくて、冷え切った体にアツアツのスープがしみました。

5. 博物館までは、大型バスで行くのがオススメ

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博物館のあるオシフィエンチムまで行くバスには、大型バス(画像)とミニバスがあります。地上から発車するのが大型バス(14ズロチ)で、地下から発車するのがミニバス(12ズロチ)。

大型バスは高速道路を走るので快適だし、博物館の目と鼻の先まで乗せてくれます。一方、ミニバスは本数も多くて少し安いけれど、ガタガタの下道を通っていくので、車酔い体質にはきつい。乗車してくる人を乗せたり信号で停まるたびに急ブレーキを踏むので、ずっと吐きそうでした。また、大型バスと比べて博物館の入口から少し離れた場所に停車します。車酔いしない人で、街並みを見ながらゆっくり向かいたい人はミニバスもお試しください。

 

製品化希望!まだ世にないけれど、産後に欲しかったものリスト ~新生児編

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妊娠中から産後に必要なものをあれこれ準備しましたが、いざ生まれてみると、産前には予測不能な必要物品がいくつかあって、その多くを買い足しました。なかには、探しても探しても希望に合うものが見つからない、そもそも製品化・サービス化されていなかったり、類似品は出ているが理由があって使えない、といったことがありました。

産後8か月が経過し、新生児の頃の記憶が薄れてしまう前に、思い出しながらリスト化してみます。あくまで一個人のニーズですので、そんなもん要らんという人が多数と思いますが、もしベビー用品の製品開発者の方が見ていたら、ぜひとも商品化おねがいしまーすという気持ちでメモします。

1.どんな哺乳瓶でも高速で人肌にする器械

我が家は産後、思うように母乳が出なかったため、ミルクとの混合でした。ミルクはだいたい3時間おきに飲ませるよう指導されますが、新生児の頃は特に、3時間も経たないうちに、何の前触れもなくお腹を空かせて急にギャン泣きします。瞬間湯沸かし器状態。それも、生きるか死ぬかの切迫感です。そうなったら、悠長にお湯を沸かして粉ミルクを溶かして人肌に冷ましている余裕はありません。我が家では時間短縮のため、授乳が終わったら、次回分のミルクをあらかじめ作って冷蔵庫で冷やしておいて、次の授乳のときにそれを温めて飲ませていました。(※自己責任です)

しかし!この「温める」工程もけっこう時間がかかる。かかるといっても、せいぜい5分程度ですが、この世の終わりかという大絶叫を聞きながら、片腕でゆらゆら抱っこしつつ、熱湯に漬けている哺乳瓶の温度を確認し、あぁまだ冷たいと待ち続ける5分は本当に長い。うっかり温めすぎてアツアツになってしまったら、今度は哺乳瓶を氷水に漬けたりして冷まさなければならず、その間も泣き叫ぶ赤子を抱いてウロウロして、それが深夜だったら、なんかもう涙出てくるぐらいツライです。

この5分を1分に短縮してくれて、ちょうどいい人肌になったらお知らせしてくれる高機能哺乳瓶があったら良いのに!!

これ、実は類似品がすでに販売されています。その名もyoomi。専用哺乳瓶をウォーマーにセットしてボタンを押すだけで、60秒で適温に温めてくれる高機能哺乳瓶。素晴らしい。

使わなかった理由:yoomi専用の哺乳瓶しか使えない

でも残念なことに、yoomi専用の哺乳瓶しか使えない。母乳育児を目指している人は、乳頭混乱が起きにくいように、母乳相談室とか母乳実感など特定の哺乳瓶を使ってトレーニングしている人が多い。これが使えないのは困るので、我が家ではyoomi断念。もちろん製品のコンセプトはとても良くて、yoomi哺乳瓶でOK!という方はマストバイだと思います。どのメーカーの哺乳瓶でも使えるウォーマーが製品化されていたら、多少お値段が張っても欲しかったなぁ。

 

2.ハンズフリー搾乳機

最初の頃、我が子はNICUに入っていて母乳を届けなければならなかったので、自宅で搾乳をしていました。当初は手搾りだったけど腱鞘炎になりかけて、メデラの自動搾乳機を購入しました。

でもこれ、20-30分近く両手がふさがってしまいます。産後はとにかく時間が足りなくて、体を休めたり他のことをしたくても、胸に搾乳機を当ててじっと待つしかない。特に子どもが眠っている間に搾乳していたので、TVを付けることもできず、スマホをいじることもできず、3時間おき1日8回の搾乳時間はとても苦痛な時間でした。そんなとき、ハンズフリーの搾乳機があれば!と思ったものでした。

実はこれも、すでに製品化されています。搾乳機ではなく、搾乳機を取り付けられるブラジャーという形で。画像を貼ってみましたが、すごい絵力。

ハンズフリー授乳下着 授乳ブラ 産後搾乳機専用ファスナーブラ マタニティー授乳下着 …(L)

使わなかった理由:乳腺を押さえる必要があり、結局手は空かなかった

でも残念なことに、我が家ではこれも採用できませんでした。なぜなら母乳の出が良くなかったため、おっぱい周囲の乳腺を押さえながらでなければ、十分な量の搾乳ができなかったからです。これを付けて搾乳機を手から離しても、結局、両手は乳腺を押さえているので意味なし。あえて言えば、これがなければ片方ずつ搾乳することになるので、それを一気に両方できるという意味で時短にはなるかもしれません。乳腺を軽く押さえてくれる機能までメーカーに要望するのは、さすがにマニアックすぎて需要がないでしょうね…。それよりなにより一番いいのは、腕が4本になることですね。

 

3.産科での円座レンタルサービス

産後は、分娩時にバチンと切られた会陰切開の傷が痛くて、円座なしにはどこにも座れませんでした。入院中は産科にたくさんある円座を使い放題ですが、家に帰ってからがほんとーに大変。どこにも座れない。かといって、医療用のがっちりした円座って、買うとけっこう高いんです。お手頃な価格の空気を入れるタイプや低反発のものもありますが、座り心地が安定しないせいか痛みが出たりして、クッションが固くがっちりした作りの医療用円座が最強でした。

これ、大きめの産科だったらまとめて購入して、産後のママたちにレンタルしてくれたら良いのになーと思いました。せいぜい1ケ月くらいしか使わないので大きな収益にはなりにくいと思いますが、ニーズは確実にあるので、一定の回転率でまわるサービスだと思います。

 

4.夜泣き対策の完全防音空間

我が家は賃貸なので、夜泣きによる近所迷惑については出産前から頭を悩ませていました。もちろんご近所には産後すぐ菓子折り持参でご挨拶にうかがっていましたが、それでは許してもらえないだろうというレベルの夜泣き。自分が眠れないとかツライとかそんなことより、ご近所に申し訳ない!クレームがきたら、通報されたらどうしよう!すぐに泣き止ませなければ!泣き出す前に泣かせないように対処しなければ!と、ものすごく神経質に緊張して、常にいたたまれない気持ちでした。ワンオペだったら、病んでたかもしれません。

いくら夜泣きしてもかまわない環境だったら、もっとおおらかな気持ちで過ごせるのに。泣いてもいいんだよ、という気持ちで、少し泣かせておくくらいの心の余裕が持てるのに。そう思って、騒音対策の製品を調べまくりました。壁に防音シートを貼ったり防音カーテンを付けたりというくらいでは、どうしようもないレベルの大絶叫だったので、子どもが泣いたら逃げ込める完全防音の空間、という観点で調べました。

ネットで出てきたのは、10万円前後の簡易防音ルームとか↓

簡易吸音室 ライトルーム Lサイズ 1人用 Infist Design

段ボール製の組み立て式簡易防音室だんぼっちなど。↓ 

組立式 簡易防音室 だんぼっち

でも、どれも高いし、空気が悪そうだし、夏は暑いし、不要になったら処分するのも大変。却下。

一番現実的だったのは、ヤマハのレンタル防音室でした。月1万円ちょっと~から揃っていて、オプションでエアコンも装備できます。とはいえ、借家に設置するのは結構大がかりな感じで躊躇してしまうし、広い空間が必要だし、オプションつけるとレンタル料がバカにならない。↓

結局、既存の製品では解決策が見つからないまま、大変な夜泣きの時期を過ごしました。本当にどうしようもないときは、よくある話ですが、車に籠りました。ちなみに我が家の車庫は頑丈な鉄筋で完全防音に近かったので、深夜2時に泣き止まなかったときは、いったん外に出て車庫に止めた車の中で子どもをあやしました。車庫がなくても、住宅街から離れたところまでドライブするという手もありますね。

とはいえ、やっぱり家にいる状態で何か対処できる方法・製品はなかったのか…と今でも思います。既存のレンタル防音室ほど大がかりでなく、自分で設置できるレベルの簡易性と完全防音を満たす、夢のような製品。

 

5.水回り自動掃除機

我が家は産後に備えて、食洗器・洗濯乾燥機・ルンバ・ホットクック(自動調理器)などの時短家電を買いそろえていました。でも、盲点は水回りの掃除。産後1ケ月はお風呂に入れないし、水仕事なども避けるように言われているけど、風呂場や洗面台、トイレなどの水回りは容赦なく汚れていきます。もちろん夫が掃除しましたが、いろんな家事が自動化されているこのご時世、水回りだけ手作業なんて効率が悪すぎます。早く、早く水回り関連の自動化を!開発者の皆様、お願いします!!

 

ほかにも、思い出したら追記していきます。

 

Photo by Nyana Stoica on Unsplash

公務員を退職しよう!と思ったら読むべき書籍6選(実践編)

ずっと悩んできたけれど退職に向けて気持ちが固まってきた、次に何をするのか具体的に決める段階になった、今度こそ、自分の望む働き方をしたい…。

そんな、退職に向けて具体的に動き出した方々へ、おすすめの書籍を6選ご紹介します。

1.10年後の仕事図鑑

10年後の仕事図鑑

AI、仮想通貨、ホワイトカラーの終焉など、5年先すら予期できない仕事、会社、社会、キャリアの未来について、本書では「消える職業」「生まれる職業」など含め、50近くの職業の未来を紹介する。新進気鋭の日本人研究者落合陽一氏と、圧倒的な行動力で時代の最先端を走り続ける堀江貴文氏がお金、職業、仕事、会社、学校など、新たな社会の姿を余すところなく語る。

ワークライフバランス(仕事と生活を区別し、その調和を図る)ではなく、ワークアズライフ(仕事と人生を区別しない。寝ている時間以外はすべて仕事であり、その仕事を趣味あるいは人生そのものと考える。)の仕事を選び取るためのヒントが凝縮されている。

2.生産性(伊賀泰代)

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

かつて日本企業は生産現場での高い生産性を誇ったが、ホワイトカラーの生産性が圧倒的に低く世界から取り残された原因となっている。生産性はイノベーションの源泉でもあり、画期的なビジネスモデルを生み出すカギである。本書では、マッキンゼーの元人材育成マネジャーが、いかに組織と人材の生産性を上げるかを紹介する。

ここで例示される「生産性の低い職場」は、公務員として働いた経験のある者ならば心当たりのあるものばかりだ。そこから離れようとするあなたの感性が間違いではないことを教えてくれるし、退職後の新しい仕事・働き方の生産性を考えるチェックリストにもなるだろう。 

3.逆転の仕事論(堀江貴文

あえて、レールから外れる。逆転の仕事論

既存の常識や考え方にとらわれず、新しいチャレンジをして、今までになかった価値を生み出す「イノベーター」8人を、堀江貴文氏が紹介する。彼らはなぜ、過去の成功や実績に安住せず新たな挑戦を続けられるのか、その理由に迫る1冊。

4.ノマドワーカーという生き方(立花岳志)

ノマドワーカーという生き方

場所を選ばず雇われずに働く人の生き方や、そのセルフマネジメント方法に関する1冊。公務員ルーティーンのストレスから、1日の過ごし方をすべて自分で決められたらいいなぁ、あれもこれもやれるのになぁ、などと漠然と思っている人も多い。そんな日が得られても、セルフマネジメントができていなければ、結局なにもせずぼんやり日々が過ぎていくことになりかねない。柔軟性の高い働き方をしながら、きちんと成果をあげていくための方策がちりばめられている。

5.女は後半からがおもしろい

女は後半からがおもしろい (集英社文庫)

東大出身の元官僚・坂東眞理子氏と社会学者・上野千鶴子氏の対談集。坂東氏が語る公務員の世界は、今も昔もたいして変わっていない。逆を言えば、今後も大きく変わることが難しい世界なのだということを突き付けられる。坂東氏は「仕事を手放さずに、仕事にコミットしなくてもいいから、マイペースで続けなさい」とも語っていて、退職について悩んでいる女性公務員には、自分の考えを整理するのに役立つ1冊になるだろう。

6.1勝100敗!あるキャリア官僚の転職記

1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記 大学教授公募の裏側 (光文社新書)

倍率数百倍の大学教員公募に落ち続けた筆者が、現実に打ちのめされても立ち上がり続けた転職戦記。公務員退職後に大学教員を目指す方には、必読の1冊。

退職を悩んでいる…という方はこちら!(入門編)

日々を紡ぐ

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子どもが生まれた。もう3か月になる。

まだまだ油断できないけれど、そっと息を吐けるくらいには落ち着いてきた。

順調だった出産から3日後、退院前日に我が子の呼吸が止まって、そのまま大学病院のNICUに搬送された。そこから始まった怒涛の日々。翌日は私だけ産科病院を退院し、以後は毎朝9時、12時、15時、18時の授乳時間に合わせて車で20分の大学病院に通った。ずっと一緒にいたかったけれど、産後ボロボロの体にパイプ椅子しかないNICUでの数時間はこたえたし、順調に減っていた悪露が搬送後に増えてトイレに行くたび大量出血していた。1日が終わると意識が遠のくような疲れで、骨も筋肉も何もかも痛かった。それでも子どもの側にいないと不安で涙がとまらず、会いたい気持ちだけで毎日病院通いをした。

その後NICUでいろいろ検査をして、異常がないのでもう少し経過観察したら退院ですと言われ、心から安堵した矢先。お話がありますと笑みのない顔で主治医がやってきて、今度は先天性の疾患が見つかったと告げられた。それはほぼ一生、病院と付き合っていかなければならないものだった。必死に保っていた糸がここでプツンと切れてしまい、その日は一晩中泣いた。翌日持っていく母乳を、泣きながら搾乳した。

病院では、まだ居たい帰りたくない離れたくないという私を、産後休暇中の夫がひっぺがすように家に連れ帰り、ごはんを食べさせベッドに寝かせ、授乳時間になるとそっと起こして車に乗せて病院まで運んでくれた。夫は、「いま子どものことで必死なちゃいちゃんの体を守る人がいないから、それはおれがやるよ。ちゃいちゃんは安心して子どものことを考えていいからね」と言って、実際そのとおりに行動した。普通に産まれて退院して家に帰ることが、こんなに大変なことだなんて知らなかったね、と二人で話した。

この間、私は人生で初めて文字を読むことができなくなってしまった。曲がりなりにも研究者の端くれで、本の虫だった私が、活字から情報を得ることができなくなった。正確に言えば、診断書など我が子に関係するものは読めるけれど、それ以外の本や資料、看板の文字は、頭に残そう・記憶しようなどと思っても目から後頭部にそのまま抜けていく感じで、子ども以外の情報がすべてシャットアウトされてしまう状況だった。テレビも同じで、映像も音楽も体を抜けて、まるで景色のようだった。帰宅後に夫がテレビをつけて見ている姿を見て、あ、夫はテレビ見られるんだな、父と母では違うんだな、とぼんやり思ったりした。

その後、経過も順調で、疾患のための服薬指導も受け、出産から数週間後にやっと家に連れ帰ってきた。入院中は険しかった我が子の顔が自宅では穏やかになり、ずっと抱っこしていないと泣き止まない甘えん坊になった。それは入院中の寂しさの表れに思えて、すやすや眠っている顔と同じくらい泣き顔も愛しく大好きになった。

病気のことを受け入れ、慣れない育児や夜泣きにあたふたしながら、子どもが笑っていればそれでいいと思ってやってきたこの数か月。それは産前に想像していたよりずっとハードで、想定外のことばかりで、でもその苦しみを差し引いてもあまりあるほどの幸せな日々。これからもいいことばかりではないかもしれないけど、毎日は続いていく。

 

数日前、以前にここで書いた末期ガンの夫が亡くなったことを知った。穏やかで幸せな毎日は永遠に続くわけじゃない。産まれる命と死にゆく命の、表裏一体の尊さに胸が締め付けられる。

広い情報の海の彼方から、心よりご冥福をお祈りします。


Photo by Janko Ferli on Unsplash

公務員として働いて良かったこと

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このブログではこれまで、公務員退職者として思うこと、とりわけネガティブな方面のことを書き綴ってきた。けれど今振り返ってみて、公務員として働いて良かったと思うことも、少なからずある。いくつか、思い出しながら記録してみたい。

業務をマニュアル化・整理するスキルを身につけた

これは、他の仕事をしていても役立つと感じる点だ。

公務員はいつなんどき人事異動があるかわからない。定期異動でも、数年に1回のペースで必ず仕事が変わる。だからこそ、自分がしている仕事を、翌日から別の職員が引き継いでも全く問題ないように整えておく必要がある。このとき「私の仕事は誰でもできる仕事ではないから、マニュアル化などできない」とか「私だからこのような成果が得られたのであって、それを他の人に教える義理はない」などと考えているのは、仕事のできない公務員である。日々の課題を解決しながら、それを誰にでもできるよう分解・整理し、後任者にスムーズに引き継ぐところまでが、公務員の仕事である。

具体的には、

  • ルーティーンの仕事をマニュアル化し、
  • イレギュラーな出来事は業務報告として記録・保存し、
  • 文書(紙もデジタルも)は組織内で統一化された名称で整理、保管場所を明示し、
  • 前任者から渡された業務引継書類は、日々更新し続ける

私自身、新転地に異動したその日から次の異動に備えて、日々の業務を行いながら定期的に引継書を更新していた。日々新しく起こる課題を解決しながら、そこに共通する問題点や解決策を整理・抽象化して、次に似たような問題が起こったとき誰でも対応できる状態にしておく方法を学べたことは、公務員として働いてよかったと思う点である。

これがいま他の仕事でどう役立っているかといえば、業務分散による組織全体の業務効率化の効果が大きいのでは、と感じている。いまは小さな組織にいて、公務員の時ほど徹底したマニュアル化や定期異動に備えた体制は必要でない。しかし、業務が立て込んでくると、自分がすべき仕事と他の人に振るべき仕事を選別しなければならないことが出てくる。このとき、日ごろから他の人にやってもらえる仕事をマニュアル化して渡しておけば、スムーズに仕事を割り振れるというメリットがある。急に仕事を休まなければならなくなったときも、いちいち電話やメールで細かく指示を出さなくとも「あれを見て」と言えばそのとおりに進めてもらえる。これは、立場が上になるほどますます必要になってくるように思う。

働きながら大学院に通えた

先日、学部生の進路相談に乗った際に「公務員と大学院進学で悩んでいる」という学生がいた。私は、選べないならどちらもやればよいのでは、と答えた。

公務員は大学院進学について比較的、職場の理解が得られやすい方だと思う。それに、大学院での専門が公務員としての仕事に付加価値をつけてくれる。大きな組織の中で、そういう強みを持って働くことは、組織にとっても自分の精神衛生にとっても、結構重要だと思う。もちろん、二足のわらじを履いて仕事がおろそかになる、というのは本末転倒だから、体力的・精神的にやっていけそうかどうかはよく考えた方がいい。

加えて、大学院には私費で通った方が良いと感じている。(今は昔ほど多くはないが)公務の一環として大学院に通うことが許される人もいる。公務の一環であれば、給料が保障された上で、業務時間まるまる勉学に充てることができるので、それを狙っている職員も多いだろう。いっぽう私は、あくまで業務終了後のプライベートな時間に私費で通学することを選択した。その理由は、①研究テーマを自由に決めたかった(業務内容に制限されたくなかった)から、②いつ出るか分からない人事異動を何年も待つよりも、自分が行きたいと思ったタイミングで行くべきと思ったから、である。自分の興味関心を第一優先にした結果、研究の方が楽しくなって、結果退職することになったしまったわけだが、この選択は間違っていなかったと思う。

周囲が無条件に安心し、信頼し、理解してくれた

これは公務員を退職してから、より感じたことだ。

公務員というだけで、周りが「この先も安泰だね、心配ないね」と安心してくれたし、初めて会う人にもなぜか最初からある程度信頼してもらえた。

それが退職した途端、急に私の行く末を心配し、求めてもいない助言をしてくれる人が現れるようになった。私個人としては、むしろ公務員時代の方が悩みが深かったにもかかわらず、その悩みから解放されたとたん考え直せと言われるのは煩わしかった。逆に言えば、公務員でいさえすれば誰も心配しないので、知られたくない自分の悩みをあえて明かす必要もなく、自分にとっては好都合だったのかな、とも思う。

また、以前は「公務員です」の一言で何となく理解が得られていたけれど、今は自分が何者であるか言葉を尽くして説明しなければならなくなった。個人的には、そういう今の状態の方が健全だと思っているけれど、社会的にはまだまだ公務員に対する固定化したイメージがあって、それに良くも悪くも自分のイメージが左右されてしまう現状がある。

省庁の名前をバックに、いち個人ならば会えないような人と一緒に仕事ができた

省庁名が入った名刺を持って挨拶すれば、本来なら大学卒業したての若手が絶対に会えないような人や行けないような場所で仕事ができた。単にこれは、虎の威を借るキツネ状態の薄っぺらいメリットだけれど、そういう舞台を踏めたことは単純に貴重な経験だったなと思い出される。大企業の社長から助言を受けたり、新進気鋭の若手起業家と語り合ったことは、これからの長い職業にとって大きな財産になったと思う。

 

Photo by karl chor on Unsplash