夫婦別姓~選択肢が増えることは、絶対的な善である。
ほんとは、名字を変えたくない
今朝のワイドショーで、最近結婚した千原ジュニアさんが
「(嫁に)名字を変えたくないって言われたら、え、なんで?って思う」
って言ってたのですが、これって一般的な感覚なんでしょうか。
むしろ「え、なんでわからないの?」と思う。
決して男性だから、というわけでもないようで、過去の調査をみると、女性側もあまり抵抗なく、当然のこととして受け止めてる人が多いみたいですね。
私は、姓を変更することに、けっこう抵抗感があります。
でも現実は、そう遠くない将来、結婚して名字が変わる予定です。
幸運にも、職場では(希望すれば)旧姓のままで働けるので、今の世界で生きていくならば、仕事上はずっと旧姓で通すことができます。
というか、それが許されているから、戸籍上の姓名変更もなんとか受け入れられる、というかんじ。
もしこういう環境にいなかったら、
つまり公私ともに否応なく姓を変更しなければならないとしたら、
今よりもっと強い抵抗を感じるかもしれません。
たかが名字、されど名字。
もし夫となる人に、冒頭のような発言をされた日には、いろいろ考え直してしまうかもしれない、というくらい、自分の一部を切り離すような感覚があります。
多様性を受容する選択肢を、意識的に選んでいきたい
夫婦別姓に、私は賛成です。
なぜなら、夫婦別姓は、同姓か別姓かどちらかを強制するものではなく、どちらも選択できる、という案だからです。
選択肢が増えることは、絶対的な善だと思うのです。
夫婦別姓に対する反対意見には、
家族の一体感が損なわれる、とか
家族は一蓮托生だ、とか
子どもが学校でいじめられるかもしれない、といった声を聞くことがありますが
ほんとに本気でそう思っているの?と、疑問に思います。
家族の絆を育むこととか、子どもをちゃんと教育することについて、
ただ単に自信がない、またはそれを果たそうとする責任感がないだけのように感じられるからです。
人と違うといじめられるから周りに同調する、そんな親を見て育った子どもは
そういう価値観をもって成長していきます。
「多様性は持たない方がいい」という教育をしているのと同じってことです。
ひいては「多様性を受け入れない」という考え方を持つようになるかもしれません。
そういう、幼いころからの教育とか慣習とか既成概念は
無意識にじわじわと、人を無神経にさせ、想像力を奪っていきます。
これは、あくまで自分自身への自戒です。
私は、自分が経験していないことをうまく想像できない。
そのことで無意識に周りを傷つけたこともあったはずです。
だからこそ、何かを決めるときはいつも、多様性を受け入れる案の方を意識的に選んでいきたいと考えています。