抽象化すること。
森博嗣『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』。
多くのビジネスマンが仕事をするとき、ものごとには具体性が求められます。仕事中に「抽象的だね」と言われたら、「言ってる事がよくわからない」と言われているのと同義です。
だから、具体的であることは良いことで、抽象的であることは良くないように思えてしまう。
でも、研究活動とか創作活動のときは、むしろ抽象的な思考が求められる。独創的なアイデアとか創造的な思考は、「抽象化」から生まれます。
この「抽象化」と「具体化」では、頭の使い方が全然ちがいます。
ものごとを抽象的に捉え、新しいアイデアを生み出すためにはどうしたらいいのか。多くのヒントを与えてくれる1冊です。
抽象化とは、ものごとの本質をとらえること
著者は、抽象化について「見かけの複雑さにとらわれることなく問題の本質をとらえ、別の他のものにも共通する一般的な概念を構築」することと説明しています。
「抽象的思考というのは、最初から限定し、決めてかかるのではなく、ぼんやりとした広い視野を持って、『使えそうなもの』『問題を解決しそうなもの』を見つけることにほかならない。メリットとしては、選択肢が自由になり、より適切な解決が得られる可能性があること、またデメリットとしては、考えるのが面倒であること、が挙げられる。」
抽象的な考え方を育てるためにはどうすればよいか。そのヒントとして、次の6つが挙げられています。
①なにげない普通のことを疑う
②なにげない普通のことを少し変えてみる
③なるほどな、となにか感じたら、似たような状況がほかにもないか想像する
④いつも、似ているもの、たとえられるものを連想する
⑤ジャンルや目的にこだわらず、なるべく創造的なものに触れる機会を持つ
⑥できれば、自分でも創作してみる
①~④あたりは、日々の研究活動にも必要な思考です。
日常的に心がければ、抽象的思考はもちろん、感性も豊かになりそうですね。
教育にできることは、子どもの可能性をつぶさないこと
教育という行為そのものが、「このようにあれ」という具体性を押し付けるものである、と指摘しています。しかし、抽象的な思考は、外からの知識とか情報では育てることができない。著者自身、大学で教鞭をとって多くの研究者を育ててきたけれど、「発想のしかた」だけは教えることができなかったと言っています。教育にできることは、子供たちの発想を邪魔しないことだと言います。
「なにものにもこだわらない」という、抽象的な生き方
人は、常識とか、前例とか、体裁とか、立場とか、プライドとか、場の空気とか、さまざまなものにとらわれて生きています。
そういうものに無意識にこだわるから、ストレスになる。
ストレスの要因は外的なものであるのと同時に、それをどう受け取るかという内的なものでもある。
自分の思い込みやこだわりによって、ストレスが増長するならば、できるだけ拘らない方がいい、という著者のポリシーが紹介されてます。まったく同感です。
決められないという正しさ、決めないという賢さ
本の中で、領土問題の事例がでてきます。
2つの国が1つの島を自分の領土だとして譲らない。それぞれが「自分の国の領土に決まってるじゃないか」と主張する。日韓、日中、あるいは世界中でよくある話です。そんなとき、意見を求められたらどうするか。
筆者は「わからない」と答えます。
なぜなら、領土問題を詳しく知らないし、はっきりした意見も持ってないし、はっきりした意見を持ちたいとも思っていない。それに、自分にはもっと関心のあることがたくさんあって手が回らないし、社会はたくさんの人がそれぞれの分野の専門となって仕事を分担しているんだから、その問題はその道の専門家が考える方が間違いがない。なんでもかんでも多数決をとればいいというものではないし、それがいつも正しいとは限らないことを歴史で学んだはずだと。
「わからない」「決められない」という主張があっていいということが、なんとも潔いですね。
領土問題の話で、筆者が提案する解決策がおもしろかったので紹介します。
お互いの国で「その島は相手の領土だ」と主張する専門家を出し合って、それぞれが「この島はあなたの国のものです」という議論を戦わせればいいじゃん、と言ってます。それを公開してみんなで見れば、客観的(=抽象的)な答えが見えてくる、という提案です。斬新ですね。