LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

闘うべき場所

嫌なことを忘れるのは難しい。

人生30年も生きていれば、それなりに気持ちの切り替え方を習得していそうなものだけど、私はいまだにそれが上手くできない。

自分に非があるときはもちろんだが、明らかに相手が悪かったというときでも、それをうまく処理できなかった自分を責めることが多い。

そんなときは、とてもじゃないけど友人とパーッと飲みに行って解決!という気持ちにはなれない。思うに、話せば楽になるというのは話したがりの人間の常套句だ。心のうちをすべてさらけ出したとしても、自分の心がそれをうまく消化できなければ、いつまでたってもモヤモヤは消えない。

だから、そういうときは徹底的に自分の内面に問いかけることになる。なぜそうなってしまったのか?これからどう対策を取っていけばいいのか?答えが出るまで考えて、気持ちを落ち着かせるよう努める。

厄介なのは、そうして課題を整理し終えても、多くの場合まだ大部分のモヤモヤが消えないことだ。そうなると、もう自分では手の打ちようがない。とにかく時がたつのをひたすら待って、他の事に集中できる時間を少しずつ増やしていくしかない。

……………

今日も、そんな出来事があった。

仲の良い友人と食事をしていたら、かつての上司とバッタリ遭遇したのだ。上司はだいぶ酔っぱらっていたし、もともと同じ人間界に生きているのが不思議なほどお互いに理解し合えないところが多すぎる相手なのだが、そのとき投げかけられた心ない言葉(でも本心であることはわかる)にひどく傷ついてしまった。

その言葉を投げかけられたとき、実は私にも、おそらく同じくらい相手を傷つけ追い詰める、破壊力のある言葉を持っていた。それを言えば、相手は逃げ場をなくしてしまうような、最後の言葉の武器を持っていた。

傷つけられたら、同じだけ相手を傷つけたい。自分だけ傷つくなんて許せない。だから、喉元までその言葉が出かかった。

でも結局のところ、私はその武器を使うことなく、心ない言葉を受け流した。それは、いわゆる「大人の女」がジョークをまじえてうまく交わすようなスマートなやり方ではなくて、その言葉自体なかったものとするような、ぎこちない受け流し方だった。みじめな気持ちだった。

……………

家に帰ってから、あのときどんな言葉を返せたら良かったのかと考えているけれど、まだ思いつかない。それでも、あのとき怒りにまかせて最後の武器を使わなかったことだけは救いだ。それをしていたら、きっと今以上に惨めな気持ちになっていたと思う。偽善的かもしれないが、私はきっと、徹底的に人を追い詰めるとか仕返しするといった適性に欠けるのだと思う。それは優しいからじゃなくて、そのことで余計に自分が傷ついて落ち込むのが嫌だという利己的な理由からだ。とにかく、同じ次元で闘わなくてよかったと思う。ここで勝たなくていい。私が闘うべき場所は他にある。