LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

ありのままを曝け出すこと。

クリスマスイブから25日にかけて、原因不明の食あたりに苦しんでおりました。できることと言ったら、横になって本を読むかTVを見るか、ぐらいだったので、以前から書棚に眠っていた本をひっぱりだしてみたら、久々に心震える文章に出会いました。

うさぎとマツコの往復書簡

中村うさぎマツコデラックス『うさぎとマツコの往復書簡』。

 

・結局はさ、あんな刹那的なことを言いながらも、きっと、ちゃんとした人間に見られたいとか、社会と順応して生きていたいとか、もっと言ってしまえば、報われたいみたいな所懐があったんだと思うのよ。好き勝手やってるくせに、ホント高慢ちきな輩だよ。 

・もしも今、ある程度のチンポに満たされ、ゲイとしての幸せに多少縁が出来たとしても、それでもきっと叫び続けるんでしょうね、アタシはこんなんじゃない、こんな人生じゃないって。アタシはいったい何をしたいんだろう、何が欲しいんだろう、何て思われたいんだろう。何処まで魂を売り続けるんだろう…。

・人を笑わせる行為って、最も客観性が必要なことよね。しかもそれって、とても自虐的要素の強い作業で、己が人様からどんな風に見られているのか、何を求められているのかを冷静に判断できなければ、そこに笑いは生まれない。客観性って、いかに自分を曝け出せるのか、嘘をつけずにいられるのかなんだろうね。

・とにかくアタシはまだ、うすぼんやりした自信の中で、それでも、その僅かな自信を、清水の次郎長ぐらいになったつもりで大風呂敷を広げて見せてるに過ぎないわ。

外的な何かに抑圧されているとき、これは自分が望んだものじゃないと思って必死に抜け出そうとする。けれど、いざ解放されて自分の好きに生きられる環境を手に入れたら、それが本当に自分の望むものなのかわからなくなってくることがあります。そうなると、本音を隠してうわべだけの姿を見せようとしたり、その場所から片足を出しておいていつでも逃げられるようにしてみたりして、自分の逃げ場所を確保しようとする。そうして、ますます自分がわからなくなってしまう。

そんなとき、できることがあるとすれば、①ありのまま自分をさらけだして悩みぬくこと、②そうやって悩みながら歩いてきた自分の過去に胸を張ることなんだと、この本が教えてくれます。

・人生は神様との取引だね。アタシの神様は本当に意地が悪くて、大きな階段を上がる時は、いつも必ずもっと大きな代償を用意するのよ。もっと曝け出せ、もっと苦しめってね。(中略)腹が決まったわ。神様はアタシの中にいる。みんなの中にいる。神様に魂を売るってことは、己の魂と決着つけるってことなんだね…。

・たとえ今がどんな状況であれ、人生とは、己の下した選択に決して後悔しないこと。

この「神様」を、中村うさぎは「自分の中の他者」と呼びます。受け入れがたい自分の性格も、他人の心無い言葉も、世間の冷たい評価も、世の中の環境の変化も、それ自体が自分を苦しめているのではない。すべて自分と言うフィルターを通して自分を苦しめるものになっている。結局のところ、闘うべき相手はいつも自分なんですね。

 

マツコ・デラックスの文章は、魂の叫びというか、どれほど壮絶な過去を生き抜くとこんな言葉が出てくるのか、という重みがありました。読んでいて、なぜか漫画「エースをねらえ」の宗方コーチの名言を思い出した。

大した苦しみもないかわりに大した喜びもなく、大した努力もしないかわりに大した成果もえられず、ぬるま湯につかったように生きて死んでゆく人間が多い中で、慟哭を味わえる人間は幸福なのだと。(「エースをねらえ!」より)

マツコ・デラックスは、間違いなく慟哭を味わえる人間なのだと思います。