LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

生の輪郭を確かめること。

探検家、36歳の憂鬱

角幡唯介『探検家、36歳の憂鬱』。

以前、NHKのswitchという番組で「角幡唯介×塩沼亮潤」の回(←永久保存版!名作です)を見てから、角幡さんが気になってしょうがない。

この方、「探検家」と「ノンフィクション作家」という2つの肩書を持っているのですが、この本を読むと、肩書が並列していることに納得します。探検家としても一流ですが、紡ぎだす言葉の質の高さ、文学的で繊細な表現力にグイグイ引き込まれます。女の目線では、山男がショパンを弾くような、建設現場のお兄ちゃんが道端の花を活けるような、そんなギャップに惹かれます。

人類未踏の地・ツァンポー峡谷を単独踏破して滑落死しそうになったり、立山で雪崩に遭遇して生き埋めになったり、死の危機に何度も直面しているらしい。それでも、探検をやめられない「探検家のサガ」に向き合ったエッセイ集です。

・絶望して川面を覗き込んだ時に至ってようやく、私は自分の死を、ざらざらした手触り感のある死として実感した。その実感は、否応のない事情により追い詰められたことでもたらされたもので、決して好き好んで到達したものではなかった。その否応のない事情が生じなければ、私はそのうち何とかなるという漠然とした甘えを心のどこかに持ち続けながら、実際に何とかなって、本当の意味で死を意識することなく探検を終えていたのかもしれない。

あの絶望した時の感覚を、もう少しはっきりと感得し、明確な言葉を与えたい。あと一歩だけぎりぎりの光景を見て帰ってきたいのだ。

・生とは死に向かって収斂していく時間の連なりに過ぎず、そうした生の範囲の中でも最も死に近い領域で展開される行為が冒険と呼ばれるものだとしたら、それは必然的に生の極限の表現ということになるだろう。

特に印象的なのが、最終章「グッバイ・バルーン」。

熱気球による太平洋横断を目指した冒険家・神田道夫氏の話です。神田氏は冒険家でありながら、町役場の一職員であるという興味深い経歴の持ち主で、2008年1月31日の出発を最後に行方不明となっています。出発の朝の描写がずっしりと重くのしかかってきます。

あの時、あの場所で、彼の離陸を見守っていた全員が、神田さんの目の迫力に呑み込まれていたと思う。その迫力の背後にあったのは、明らかに彼が背負っていた死への覚悟だった。間違いなく私たちは、この人は本当に死んでしまうのではないかと心のどこかで思いながら、彼の出発を見送っていた。そして恐ろしいことに、神田さん本人が自分の死の可能性を了解していることにも、私たちは気が付いていたのだ。しかし、だからこそ、その場にいた全員が彼の出発の光景に感動していたとも言えた。死の可能性を覚悟しながら、それでも飛び立たざるを得ない壮絶な姿に、人間の根源的手高貴な魂を見せつけられて、私たち観客の心は震えていたのだ。

芋づる式に、神田氏のことも知りたくなって、最後の冒険家 (集英社文庫)も読んでしまいました。彼はもともと高校生のときから川下りを趣味とするようなアウトドア派の人間だったらしいのですが、熱気球に関心を持ったのは27歳くらいのときだといいます。つまり、公務員として安定した立場で働き始めてから、数年たって、冒険の旅に出始めたということになる。個人的には、これがとても感慨深い。単調な日々の仕事と、生きがいとしての冒険を、両方手放さずに両立させることで心のバランスをとっていたのかなと想像するからです。