LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

SONGSスペシャル・宇多田ヒカルの言葉

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お正月の再放送を録画して、やっぱり何度見ても素晴らしかったので、備忘録的にその言葉をいくつか書き留めておきます。彼女が紡ぎ出す言葉が、心の深い部分をえぐっていく感覚があって、泣けました。

以前の記事はこちら。

 

母・藤圭子の死について

あらゆる現象に母が見えてしまった時期があったんですよ、関係ない事象でも。うわーつらいなー、やだなー、それってなんなんだろうと思ったんだけど、結局誰しも原点があって、私の原点は母だと。私の世界、あらゆる現象に彼女が何かしら含まれるのは当然じゃんと。私の体だって親からきてるものですから当然か、と思えるようになって。それまで悲しいと思ってたことが急に素晴らしいことだなと、それを感じられるようになったんだから素晴らしいことじゃないかと思ったんですよ。

 

亡き母に伝えたいこと

 もし母が亡くなった後に妊娠していなかったら、今もし子供がいなかったら、たぶんアルバム作ったり仕事始めようと思えてないと思います。

 自分が親になると面白いなと思ったのは、自分の子供を見てて、生まれて最初の体験とか経験で、一番人格の基礎となるものとか世界観とか形作られていくじゃないですか。なのにその時期のこと、自分は完全に忘れてるってすごくないですか?つまり、すべて無意識の中にある、闇の中にあるみたいな。それをみんな抱えて生きていて、そこからいろんな不安とか悩みとか苦しみが出てくると思うんですよね。なぜ私はこうなんだ、なんでこんなことをしてしまうんだとか。自分が親になって自分の子供を見てると、最初の自分の空白の2、3年が見えてくる。ああ、私こんなんだったんだな、こんなこと親にしてもらって、こんな顔してて、というのが見えて、それって結局親に対する感謝とか、自分がどこにいるのかがふわっと見えた瞬間という感じで。ずっと苦しんでいた理由みたいな、わからない、なんでこうなんだっていう苦しみがふわっとなくなった気がして。それこそいろんなものが腑に落ちるというか。

 

子は、永遠に母の一部

母が亡くなって10年以上経っても、いまだに母を思わない日はない。今でこそ辛いばっかりじゃなくて温かい記憶でもあるけれど、後悔や淋しさは消えることがなくて、その気持ちはずっと抱えていくしかないと思ってきた。

でも、そうじゃない。私は今も母の一部。だから、あらゆることが母につながっている。私が生きているから母は今も私の中で生きていて、それは記憶や意識の中だけじゃなくて無意識のレベルにも深く存在しているし、極小な遺伝子のレベルでも確実に存在している。それって、本当に素晴らしいことだ。