LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

宿った命のこと

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人前で泣いたのは、何年ぶりだろう。ここでは泣かない、泣くとしても家に帰ってからだ、と思っていたのに、診察室を出て待合室に座った途端、気が緩んで目の前が見えなくなった。とにかく早く病院を立ち去りたかったけれど、たくさんの乳幼児や妊婦さんに囲まれて、長い会計待ちをしなければならなかった。

みんなどうして子どもを授かることができるんだろう。2人も3人も次々と産める人って何なんだろう。湧いてくる暗い感情を押し留めるために、心を無にしてずっと窓の外を見ていた。ひどい顔をしていたと思う。マスクをしてきて良かったとぼんやり思った。

 

いつの間に自分は、こんなに子どもを欲するようになったのか。いつからこんな風に、コントロールできないものに期待して、自分を見失うような人間になったのか。実際のところ胎嚢が確認できただけで、心拍もまだ聞こえてなかったし、最後までその姿を確認することができなかったから、喪失感なんて言ったら大袈裟なような気がした。それよりも、自分はもっと利己的な理由で悲しんでいるように思えた。

仕事を休んでいる今のうちに出産して、早く再就職を決めたい。せっかくなら、出産・育児の経験を今後のキャリアに生かしたい。夫の親戚家族と過ごすとき、義兄弟の子供たちに囲まれて肩身の狭い思いをしたくない。子どもを授かることができれば、いろんなことが上手くいくのに。迷いなく自分の人生を前進させることができるのに。そんな自分本位な未来が手に入りそうになって浮かれていた。それがすべて振り出しに戻ってしまったから、落胆しているだけじゃないのか。おもちゃが手に入らなくて泣き叫ぶ子どもと、大差ないんじゃないか。そんな傲慢な考えだから、こういう結果を引き寄せたんじゃないのか。宿った命は、自分の人生を豊かにするためのパーツではなかったのに。この奇跡は、本当に尊いものだったのに。

妊娠がわかってからこのひと月、体調が悪いせいもあるけれど、今は大事な時期だからと自分に言い訳して、研究も仕事もそっちのけだった。その命を失って、残されたのは何も手につかなかった空白の1ヶ月だった。やらなければならないことが山積みのまま、放置されていた。自分の人生を生きるために必要なあれこれをすべて放り出して、赤ちゃんのことしか考えられなくなるくらい完全に我を失ってしまった。そんな自分が信じられない。

まぎれもなく、妊娠が分かったあの日から私は母になった。愚かでも、まだ見ぬ姿を思い浮かべて、お腹をさすっているだけで心が満ち足りた。これから先の暮らしを想像するだけで胸がいっぱいになった。心拍が聞こえるんじゃないかと、毎晩私のお腹に耳を押し当てる夫が愛しかった。本当に毎日、幸せだった。

 

手術の日も、きっと涙を止めることができないと思う。退院しても、悲しみはきっと消えてくれないだろう。でも手術を終えて家に帰ったら、泣きながらでいいから、自分のやるべきことを淡々と前に進めていこう。人知の及ばない未来に希望を託すのはやめて、もういちど自分の力の及ぶ範囲で最大限努力しよう。子どものためじゃなく、家族のためじゃなく、自分自身のために着実に歩んでいくことが、愛する人たちのためになると信じて。そう考える以外に、今はまだ自分を保つ方法が見つからない。

 

※冒頭画像:https://unsplash.com/photos/34w3deK2DvY