LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

公務員時代にストレスだったこと(仕事、休み、人間関係)

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最近、ブラック労働とか働き方改革の記事などを見るにつけ、自分が公務員として働いていたときのことをいろいろ断片的に思い出すことがある。

とても不思議で無意味なルール・慣習が多かったなぁと、当時も今も思う。

疑問に思うなら自分はそれをしないという選択肢もあったけれど、当時の私は、その空気に抗して無駄なエネルギーを消耗するくらいなら、あまり考えずに心を閉じて従ってしまおうと思っていた。それくらい些末なこととして自分の中で消化してしまわないと、精神が疲労するのが分かり切っていたから。

あえて「しない」ことを選んだだけなのに、そういう配慮が「できない」人だと思われるのが嫌だ、という世間体を気にするような気持ちもあったかもしれない。

でもそういう、本心とは異なる些細なことを積み重ねるうちに、確実に心が死んでいったのも事実。

そんなことを、思い出しながらポツポツ書いてみようかと思います*1 

仕事について

形式的な仕事や内向きの仕事が多かったこと

公務員時代は、直接アウトプットにつながらない内向きの仕事、すなわち組織内で決裁権者を納得させるためだけの形式的な資料作成とか、他部署を動かすためだけの内部資料とか、されてもいない質問や起こってもいないことをあらかじめ想定して作っておく対応集とか、ありとあらゆる「内部資料」の作成が求められた。

組織が大きければ大きいほど内部調整が難しくなり、稟議制の過程で内向きの仕事が増えていく実態があって、1のアウトプットを出すために100の予備資料が存在することもあった。これらのほとんどは、アウトプットに直接生かされない(組織外に出してはいけない)ことを前提に作成されていた。

もちろん公務という仕事柄、公平性や一貫性、正確性を保つためにやむを得ないこともあると、当時は理解しようとしていた。それでも、やっぱりこんなことをしてたんじゃ、いつまでたっても仕事は減らないじゃないか、という思いをぬぐえなかった。

何よりも、組織内の調整のため仕事を積み重ねることにやりがいを感じられず、徒労感ばかりが先立って、自分が消耗していくのを感じる日々だった。

個人として、仕事の成果を残せないこと

大きな組織の中にいると、仕事の成果に社員の名前が入ることはめったにない。ある仕事について自分が社内一詳しくなって、課題解決のための新しい仕組みを作ったり、外部へ発信できる形にまとめあげ、成果をあげたとしても、最後に自分のサインが入ることはほとんどない。それはひとえに、私の成果ではなく会社の成果とされるからである。その代わり、何か問題が生じたら、社会に対して責任をとるのは会社になる。(もちろん私個人も処分されるが、あくまで内部的にということになる)

大学院で修士号を取得してから就職した自分にとって、これは少し違和感を感じる出来事だった。ふつう研究活動では、私が書いた論文には私の名前が入り、その成果も責任も私がとることになる。フリーランスで仕事している人もそうだろう。

でも組織では、自分の名前が入らないことに対する疑問を持つ人はなく、むしろ入らない方が有り難い、入っては困るというような仕事観があった。どこか、みなが自分の責任を回避して、いつでも逃げられるように、まるで他人事のように仕事をしているように見えた。自分の成果物に自分の署名が入り、外部に対して自分がその責任を負うことが当たり前だった私にとって、それは個が埋没していくような虚無感を感じる経験だった。

 

休みについて

計画的に有給休暇を取得した翌日、「昨日はお休みをいただいて、ありがとうございました」と上司に挨拶して回らなければならなかったこと

突然の有給取得ならば、職場に迷惑がかかっている場合があるので理解できるけれど、事前に申請していた休みの場合でもこういう形式的な慣習があった。さらに、独身の若手だったりすると、遊びに行ったの?リフレッシュできた?などと、コミュニケーションの一環だという顔でプライベートに立ち入られたりして、うんざりだった。

とはいえ、それを無視したり嫌な顔をするようでは、こちらのコミュ力に問題があるように思われるのではと考えてしまい、ヘラヘラ適当に交わしていた。そういう自分にも疲れていたように思う。

昼休みや定時後も、来客対応や電話対応が当たり前とされていたこと

昼休みに来客があったり、電話が鳴ったら、率先して対応すべきと教育された。それは勤務時間終了後も同じで、その分だけ残業を余儀なくされた。一般の方からの問合せにはいついかなる時も対応せねばならないという、この滅私奉公的な空気がとても嫌で、昼休みは職場から離れて外で昼食をとるようにしていた。

仕事で昼食を食べ損ねて、昼過ぎに職場の食堂に行くと「職員がサボっている」と言われること

それでも、やむを得ない事情で昼休みに対応が必要になり、昼休み時間を過ぎてしまうことがあった。午後の業務が始まっている職場で一人食事をするわけにもいかないので、手早く食べて仕事に戻ろうと、やむを得ず職場の食堂などに行くと、外部からランチしに来ている一般の皆さんにジロジロと見られたりして、とても気になった。過去には投書された事例もあるとか。

 

人間関係について

職場の飲み会を欠席するときは、上司に欠席理由とともに謝罪を伝えなければならない

職場では、定例の飲み会が年に数回以上催される。これを欠席するには相応の理由が必要とされ、特に若手職員の場合は上司がたくさんいるので、その全員の席を回って欠席理由と謝罪を伝えるのが礼儀とされていた。これをしなかった場合、飲み会の翌日に「昨日はなぜ来なかったのか」と冗談めかして詰め寄ってくる上司もいた。業務終了後の飲み会ですら、ほうれんそう(報・連・相)が求められるストレスはなかなかのものだった。

年末の勤務最終日は、帰る直前に上司・同僚すべての席を回って、年末のご挨拶をしなければならなかったこと

年末の勤務最終日に帰るときは、まだ職場に残っている上司・同僚の席を順番に回って、今年もお世話になりましたと年末の御挨拶をしなければならない慣習があった。年始も同様で、最初の勤務日に全員の席を回って、今年もよろしくお願いしますと挨拶を交わさなければならなかった。挨拶される側も、そのつど起立してこれに応えるものだから、なかなか仕事が始まらない。いったい誰得だったのか。

出張前に、いちいち上司に挨拶してから出発しなければならないこと

もともと出張が決まった時点で、前もって上司に出張の概要を伝えてあるのに、なぜか出発前の急いでいるときにも同じことを繰り返さなければならない慣習があった。ちょっと数時間外出して、その日のうちに戻ってくるような出張でも、そうするよう教育された。

来客時のお茶くみを、平気で同僚女性に頼む男性職員がいること

平成の世になってなお、しかも同世代の男性職員に、こういうタイプが複数いたのがとても残念だった。私の方が後輩だったというだけで、役職などは全て同じ条件で採用されているにもかかわらずである。もちろん、どこか済まなそうな顔と、ごめんねありがとうなどの言葉が添えられてはいるものの、このご時世に、しかも若い世代で、これを良しとする価値観を持った人間が同僚なんだな、と心底幻滅した。今なら、変わり者だなぁ、関わらないようにしようと思って終了だけど、入省当時は特に、自分の能力や価値まで同レベルに思われてしまう、貶められてしまう、というような変な仲間意識があったように思う。

 

 

書いてるうちに芋づる式で蘇ってきて、なんだか愚痴っぽい感じになってきた。とりあえず今日のところはここまで。

Photo by Alicia Gauthier on Unsplash

*1:公務員全体の統一的な慣習ではなく、あくまで私のいた部署での経験です。反対に、公務員だけに限定されない、一般企業にもよくある話が含まれているかもしれません。あしからず。