LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

こんなはずじゃなかった〜NHK ETV特集

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NHKETV特集を扱う担当部署が解体の危機と聞いて、思いのほか落胆している。クオリティの高い番組が多く、なんだかんだでこれまで割と欠かさず見てきた。意識したことはなかったが、考えてみると、ETV特集を見るために受信料を払っているようなところもあったかもしれない。唯一、能動的かつ継続的にNHKを見るモチベーションだったと言ったら言い過ぎだろうか。応援する意味も込めて、印象的だった回を思い出しながら書いてみる。

 

「こんなはずじゃなかった」医師がガンになったとき。

NHKドキュメンタリー - ETV特集「こんなはずじゃなかった 在宅医療 ベッドからの問いかけ」

2017/7/15放送。「自宅の畳の上で死ぬのが極楽」という信念のもと、在宅医療を先頭に立って推し進めてきた老医師・早川一光氏。しかし自身がガンになって自ら作り上げた手厚い医療・介護を受けながら「こんなはずじゃなかった」と言う。なぜか?

施設から在宅、地域へと移行している医療介護政策のなかで、非常に興味深いテーマだった。

病気さえ治したらみんな患者さんは幸福になると思っていたら、どうもそうじゃない。病気は治したけども、その方が持っている暮らしの苦痛・心配事というのは、単なる医者では治らない。臓器を治すのではなくて患者さんの生活を治さんとあかん。人間をみる場合は、病気はもちろん、その方の生活を、悩みと苦悩、喜びも悲しみも一緒に見守ることが大事じゃないかと思うと、医学だけでは人は救えない。

自宅に戻っても、介護ベッドが入ったリビングやヘルパーに介助されて入る風呂が、まるで自分の家と思えない。何処かに連れてこられたような感覚は、ガンになって初めて知るものだったという。次第に、これは極楽ではなく地獄なのではないかと考えるようになる。

「さみしい。」病気をしてから、僕の胸を何度もよぎる感情です。心の奥深いところで常に流れている、この「さみしさ」を知ったとき、僕は驚き動揺した。「畳の上の養生は極楽」と、在宅療養を語ってきた。けれど畳の上にも天国と地獄、どちらも存在していることを知った。

自宅で、次男夫婦や孫たちとにぎやかに暮らし、定期的に訪問診療を受ける暮らし。病気による苦痛はあるけれど、晩年の暮らし方としてこれ以上ない満ち足りた暮らしに見える。しかし、それを「畳の上の地獄」と表現する。医療は、どこを目指して進むべきなのか。

老いと死に向き合うための人間学

そして早川氏は「総合人間学」にたどり着く。人間とは何かを問い直し、医学だけではなく生活科学や経済学、心理学などあらゆる領域を統合した「総合人間学」が、医師になるには絶対通らなければならない領域という。しかし、70年の医師生活と晩年の闘病生活を経ても、なおそれを言葉にして表現できずに苦悩する様子が描かれる。

「総合人間学というのは何だ」と言われると、もう僕は次が出て来ずに「ある。あるんだ。」俺は求めたけど、掴もうと思ったらもう煙のごとく消えてる。(中略)手を開いたら、ないという。それはいったい何だろうという。

早川氏が最も嫌だったという入浴介助をはじめ、あらゆる介護は、いつかテクノロジーに置き換わると思う。もどかしさや屈辱感を和らげて、より快適に介護を受けられる日は近い将来やってくるだろう。慣れ親しんだ自宅で、医療技術により苦痛が和らげられ、快適な介護を受けられるようになってもなお、私たちはきっと「足りない」と言うだろう。技術革新が起こって、社会の仕組みが変わっても、老いと死は避けられず、この悩みに対処するには、私たちの幸せの基準が変わらざるを得ないからだ。自分の幸せをどう定義するか、その基準や価値観はどこまでも自分が決めるしかない。弱音を吐いて諦めるか、這いつくばって最後まで悩み抜くか。早川氏は、後者だった。弱音とも取れる人間味あふれる言葉に、人間の底知れぬ強さを感じた。

枯れていくんやない、熟れていくんや。僕もだんだん動けんようになっていくやろう。でも、できるだけ熟していきたい。常に頭を柔らかくし、たくさんの人に食らいついてもらいたい。

 

Photo by Kristina Tripkovic on Unsplash