LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

困難を克服し続ける旅

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先週から、北欧・バルト三国を旅している。

3回目の海外ひとり旅ともなると、いろいろ旅慣れてきて、どこへ行くにもあまり困難を感じなくなった。相変わらず英語には自信がないけど、最低限必要なことはどうにか伝わるものだ。

私にとって海外ひとり旅の醍醐味は、困難にチャレンジすることだった。見知らぬ土地で何かあっても自分一人で対処しなければならないという緊張感と、遠いところにはるばる来たという達成感、自分の常識と違うことに出会える期待感のなかで、困難に感じられることを1つ1つクリアしていくことが楽しかった。子どもの頃には日常にあふれていたはずのそういう刺激的な体験が、大人になって少なくなったように思われたけれど、2年前に初めて海外一人旅をしてから、文字通り童心に帰ったように旅に夢中になった。

それが、3回目の旅で少し変わってきたのを感じている。これまでのように、行って帰ってくるだけでは満足できなくなっている。もう一歩、現地の日常に踏み込みたい。そんな思いに駆られて、少し戸惑っている。

 

思い返せば、初めての海外一人旅・ロンドンでは、想定されるすべてのことが不安だった。航空券やホテルをちゃんと手配できているのか、入国審査やホテルや機内で英語が通じるのか、スリやテロなどの犯罪に巻き込まれないか。とにかく警戒心むき出しで、ガチガチに緊張していた。出発の数日前から気が滅入るほどだった。それでも、この恐れを克服しなければ、これから生きていく世界がどんどん狭いものになってしまうという危機感があった。無事日本に帰国したとき、大きな開放感と充実感に満たされて、大げさにも「生きる喜び」のようなもので胸がいっぱいになったのを覚えている。旅の途中で、次はどこに行こうかと思いめぐらすほどだった。

2回目はその1年後、チェコポーランドへ飛んだ。ロンドンでは自信がなくてできなかったこと、次に克服すべき困難をリストアップして、ひとつずつチャレンジしていった。人生で絶対にやりたいと思っていた①プラハでオペラを観ること、②アウシュビッツ収容所へ行くこと等々を達成して、さらに自信がついた。ロンドンの時とは違って、少しの緊張と程よいリラックス感で旅を楽しむことができた。

そして今回、3回目の旅は、北欧フィンランドに降り立ち、バルト海を船で横断して、エストニアラトビアリトアニアを巡っている。普通に旅をするだけなら、困難なこともはもうなくなって、国内旅行とあまり変わらない感じでのんびり日々をすごしている。自信がついたともいえるけれど、一方でそれは物足りなさでもある。

そんななか、唯一この旅で感じた困難は、もう一歩踏み込んだコミュニケーションがとりたい、ということだった。これまでは、最低限必要なことが伝わればそれでいい、独りよがりでも安全に旅することの方が大事だ、そう思ってコミュニケーションのことは後回しにしてきた。しかし今回は、本当にいろんな出会いがあった。船で隣同士になって席を譲ってあげた家族連れ、フレンドリーにいろんな話をしてくれたホテルスタッフやカフェの店員さん、1日に何度もすれ違って笑顔を交わし合ったバックパッカー。自分にもっと英語力があれば、と思う場面が本当にたくさんあった。これはたぶん、旅に余裕が出てきたからだろう。観光地を巡るのも楽しいし、食べたことのない料理を食べるのも楽しいけれど、自分ひとりで満足する旅から、人と触れ合い現地の日常を知る旅へと、興味の対象が変わってきたのを強く感じている。

この思いは、今までのような一時的な海外旅行では果たせないものだ。日本ですごす日常の中で、ただひたすらに英語力を磨いていくしかないことだ。今はただ、この悶々とした思いを持ち続けて、それを具体的な行動に変えていくことしかできない。次に私がやるべきことは、海外ではなくて日本での日常のなかにある。次に海外ひとり旅に出るときは、どれだけ力がついたか試す旅になるのだろう。そんなことを思いながら、日本への帰路についている。

 

※写真はリトアニア・シャウレイの十字架の丘

女は後半からがおもしろい

女性の働き方について、東大出身の元官僚(坂東眞理子氏)と社会学者(上野千鶴子氏)がそれぞれの立場で語る対談集。

女は後半からがおもしろい (集英社文庫)

失礼ながら、元キャリア官僚の坂東氏の話は、大昔の話だろうと思いながら読み進めていったところ、今も昔も公務員の世界はそれほど変わっていないことを実感。

(坂東)公務員というのは、「世のため人のための仕事であって、なおかつ自分もおもしろい」というような、本当にハッピーに思える仕事が三分の一あるとしたら、他の三分の一は「なんで私がこんなことしなきゃいけないんだ」と悩み、甘受しなければならない部分。そして「まあ、可もなく不可もなく」の思いになれるのが三分の一ですよ。(中略)だから、逆にモチベーションが高く持てないようなときには、あまり負けが込まないように。(中略)周りを敵に回して心をぐちゃぐちゃにしないで、おとなしく、喧嘩しないで黙々と耐え抜く精神的な強さが大事。(pp.76)

男性優位の職場で女ひとり奮闘しなければならない孤独とか、やりがいのない仕事の方が多いけどそれを黙々と耐え抜く忍耐こそが公務員の適性とか、そういう部分は全然変わらない。逆に言えば、半世紀以上変わらなかったこの体質が、今後40~50年の間に本質的に変わるとはとても思えない。これから公務員を目指す人には、良くも悪くも「公務員の働き方」がイメージできる一冊として読んでみてほしい*1

(上野)以前、坂東さんに「女性の働き方について、どんなアドバイスをなさいますか」とお聞きしたら、「仕事を手放さずに、仕事にコミットしなくてもいいから、マイペースで続けなさい」とおっしゃったでしょう。これまで、私も同じことを言ってきたんです。たとえば就職した教え子たちが転職したいとか、フリーになりたいとか言ってきたとき、いつも必ず反対してきました。どんな職場でもおまんまの種なんだから、定職・定収入がある方がずっといい。そこから放り出されたら、荒野に一人で立つのと同じ。荒野でファイティングを続けられる能力と覚悟のない人はやらない方がいい、と。(pp.86)

私が見てきた公務員の多くは、まさにこの「仕事にコミットしなくていいからおまんまの種として続ける」という精神で働いているひとたちだった。いや、本当は違うのかもしれない。けれど、少なくとも私にはそう見えた。

「仕事にコミットしなくていい」ということを受け入れられるか?どの程度までなら甘受できるか?そこが分かれ道だ。それを受け入れられなかった私は、退職を選んだ。だからいま「荒野でファイティングを続けられる能力と覚悟のない人はやらない方がいい」という言葉の重みも、同時に味わっている。それでもなお、コミットできないような仕事に人生の貴重な時間を浪費するほど愚かなことはないと思っているし、自分の人生を生きるとは、そもそも荒野に立つことから始まると思っている。

*1:もちろん、成功例の中でもトップクラスの成功例であることを念頭に置いた上で。

還暦の誕生日は美しいグレイヘアで

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女33歳。このところ、めっきり白髪が増えてきた。

思い返せば、母が40代の頃から白髪染めを手伝ってあげていたので、いつか自分も、とは思っていたけれど、想定よりちょっと早すぎる。美容院で染めてもらうほどじゃないけど、たまに見つけて抜くのでは追いつかないレベル。そんなわけで、早くもちょこちょこ白髪染めにトライしている。自宅で一人で染めてみるのだが、これがなかなか骨の折れる作業。そうか、年をとるっていうのはこうして手間暇かけるってことなんだな、と少しずつ加齢を噛みしめる今日このごろ。

 

ところで私には、60歳になったらやろうと決めていることがある。それは、美しく白髪デビューすることである。

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あえて白髪染めをせず、白髪でも銀髪でもグレイヘアでもグラニースタイルでも呼称は何でもいいけれど、とにかく白髪をベースとしたヘアスタイルに60歳をきっかけに一新したい。

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憧れの例はたくさんある。でも、加齢に身をゆだねて衰えていくだけでは、どうやらそのスタイルにはなれないらしい、ということが最近少しずつわかってきた。

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美しい白髪の人はきまって、髪も肌も艶やかだ。そして髪にはふんわりとした十分なボリュームがあり、決して伸ばし放題にはしない。服装も、髪の色によく合ったカラーをかっこよく着こなして、口元には明るい色のルージュを引く。立ち姿は背筋がピンと伸びていて、歩くときは風を切るように颯爽としている。まさに、小股が切れ上がった女性。そんなイメージ。

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たぶん、白髪が素敵に似合う女性は、若い時から素敵だったに違いない。若い時からグレイヘアにしてたって、たぶんとびきりかっこよく似合っていたに違いない。長い時間をかけて、一生付き合っていく自分の心身を丁寧に磨いてきた結果だとしたら、その美しさの素地は一朝一夕に得られるものじゃない。

 

そんなわけで私も、当面は髪を傷めない天然成分を選んで白髪染めをし、心と体を鍛えながら、いつかやってくる還暦の日を心のどこかで楽しみにしている。

 

※画像リンク

https://joshi-spa.jp/522598/2

http://otona-stylemag.com/posts/magazine/18374.html

http://siragamaster.com/category4/entry91.html

http://france33.exblog.jp/23105203/

http://beauty-air.jp/not-coloring

http://dosuru40.com/concierge-san/17408/

意味なんてない

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手術から数週間が経った。体はすっかり元どおり、とまではいかないけれど、あんなに苦しんだ悪阻は手術当日にパタッとなくなって、術後の痛みも数日で消えた。表面上はまるで何事もなかったかのように、以前の生活に戻っている。

変わったことと言えば、私の体が回復していくのと反比例して、普段は風邪もひかない夫が珍しく肺炎で10日近く寝込んだこと。おかげで私は余計なことを考える時間もなく、夫の高熱を下げることに意識を集中させることができた。夫は夫なりに、私が想像する以上の苦しみを抱えていたんだと今更ながら気づかされた。そのあとは、締切間近の仕事や論文校正を粛々とこなしながら、なるべく暇を作らないように過ごしてきた。

日常生活で少し困ったのは、涙腺がコントロール不能になったこと。バスに乗っているとき、洗濯物を干しているとき、何か思い詰めて考えているわけでもないのに、突然ダーっと涙が流れるのをいまだに制御できない。悲しみに身を置き切って泣き尽くしてしまえば解決するんじゃないかと思ったりしたけれど、出し切った感情をどう回収すればいいかわからないし、回収できなければ出しきったままになってそれで自分はどうなってしまうんだろうと思ったから、とにかく考えないようにしている。

つまるところ、この結果は誰のせいでもない。統計的に誰にでも起こりうることで、それがたまたま私に起こったというだけのことだ。別に珍しいことでもなんでもないし、そこに意味なんてない。そう思っても、私は以前の私には戻れない。すべてが満ち足りて完全だと思えた暮らしに、不足を感じる。そのことが、自分を追い詰める。私たちはしばしば、自分でコントロールできないことに振り回されて、そのことに何らかの意味を見出したくなるけれど、そういう理由のないことを淡々と受け入れて生きていくしかないときがある。だったら、悲しみは悲しみのままにして、涙は流れるままにして、できるだけ明るくいた方がいいじゃないか。泣いても笑っても同じように時間が流れるなら、笑っていたほうがいいじゃないか。

世界は別に私のためにあるわけじゃない。だから、嫌なことがめぐってくる率は決して変わらない。自分では決められない。だから他のことはきっぱりと、むちゃくちゃ明るくした方がいい。

吉本ばなな『キッチン』)

少なくとも私たちには、もっとも辛いそのときに、笑う自由がある。もっとも辛い状況の真っただ中でさえ、そこに縛られない自由がある。

(岸政彦『断片的なものの社会学』)

キッチン (角川文庫) 断片的なものの社会学

 

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宿った命のこと

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人前で泣いたのは、何年ぶりだろう。泣かないと思っていたのに、泣くとしても家に帰ってからと思っていたのに、診察室を出て待合室に座った途端、気が緩んで目の前が見えなくなった。とにかく早く病院を立ち去りたかったのに、たくさんの乳幼児や妊婦さんに囲まれて長い会計待ちをしなければならなかった。みんな、どうして子どもを授かることができるんだろう。2人も3人も次々と産める人って何なんだろう。湧いてくる暗い感情を押し留めるために、心を無にしてずっと窓の外を見ていた。マスクをしてきて良かったと思った。

自分はなぜ泣いているんだろう。何が悲しいのか、考えたらよくわからなくなった。いつの間に自分は、こんなに子どもを欲するようになったのか。いつからこんな風に、コントロールできないものに期待して、自分を見失うような人間になったのか。実際のところ胎嚢が確認できただけで、心拍もまだ聞こえてなかったし、最後までその姿を確認することができなかったから、喪失感なんて言ったら大袈裟な気がした。それよりも、自分はもっと利己的な理由で悲しんでいるのではないか、という気がした。

仕事を休んでいる今のうちに出産して、早く再就職を決めたい。せっかくなら、出産・育児の経験を今後のキャリアに生かしたい。夫の親戚家族と過ごすとき、義兄弟の子供たちに囲まれて肩身の狭い思いをしたくない。子どもを授かることができれば、いろんなことが上手くいくのに。迷いなく自分の人生を前進させることができるのに。そんな自分本位な未来が手に入りそうになって浮かれていた。それがすべて振り出しに戻ってしまったから、落胆しているだけじゃないのか。おもちゃが手に入らなくて泣き叫ぶ子どもと、大差ないんじゃないか。そんな傲慢な考えだから、こういう結果を引き寄せたんじゃないのか。宿った命は、自分の人生を豊かにするためのパーツではないのに。この奇跡は、本当に尊いものだったのに。

妊娠がわかってからこのひと月、体調が悪いせいもあるけれど、今は大事な時期だからと自分に言い訳して、研究もクラウドの仕事もそっちのけで赤ちゃんのことばかり考えていた。その命を失ったいま、感情のほかに残ったのは、空白の1ヶ月だった。やらなければならないことが山積みのまま、放置されていた。自分の人生を生きるために必要なあれこれをすべて放り出して、赤ちゃんのことしか考えられなくなるくらい完全に我を失ってしまった。なりたくないと思っていた母親像に、たった1ケ月でなりかけた。そんな自分が信じられない。

まぎれもなく、妊娠が分かったあの日から私は母になった。愚かでも、まだ見ぬ姿を思い浮かべて、お腹をさすっているだけで心が満ち足りた。これから先の暮らしを想像するだけで胸がいっぱいになった。心拍が聞こえるんじゃないかと、毎晩私のお腹に耳を押し当てる夫が愛しかった。本当に毎日、幸せだった。

 

手術の日も、きっと涙を止めることができないと思う。退院しても、悲しみはきっと消えてくれないだろう。でも手術を終えて家に帰ったら、泣きながらでいいから、自分のやるべきことを淡々と前に進めていこう。人知の及ばない未来に希望を託すのはやめて、もういちど自分の力の及ぶ範囲で最大限努力しよう。子どものためじゃなく、家族のためじゃなく、自分自身のために着実に歩んでいくことが、愛する人たちのためになると信じて。そう考える以外に、今はまだ自分を保つ方法が見つからない。

 

※冒頭画像:https://unsplash.com/photos/34w3deK2DvY

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公務員退職を決断させてくれたもの

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iPhoneのメモ帳を整理していたら、退職前に書いていたメモが出てきた。

日付を見ると、退職の1年半前の、2014年秋ごろのものだった。今は退職から10か月たって、これが最善の選択だったとしか思わないのだけど、当時はそれを決意するまでに長い長い時間がかかった。そのころは新幹線通勤で、毎日7時頃の車両で出勤して、23時前の最終で帰ってくる日々だった。帰りの空いた車内で、疲れ切った頭で、ウダウダ悩み続ける自分の気持ちに決着をつけたくて残したものだった。

今読み返すと、感情的で稚拙で、自分の恥部が露わになるような恥ずかしさがあるのだけど、同時に、このままではいけないと必死だった当時の思いがよみがえってくる。本当に、忍耐の一言に尽きる日々だったのだなぁと思い出す。

そのころ、同僚や友人に言えない不満や不安は、phaさんちきりんさんのブログを読むことで落ち着かせていた。このブログがそれと同じような役割を果たすなどとは夢にも思っていないけれど、一方で、私には元・公務員として分かることがあって、同じような絶望感の中で何とか気持ちをつないで出勤してる人がいることを知っている。どこかで、わずかでも誰かの気休めになるなら、何でも記録しておこうと思う。

つれづれなるメモ(一部)

2014/10/16

5年後も今と同じ悩みや不安を抱えて過ごしたくない。変わり映えしないまま、歳だけとって後悔したくない。辞めたらチャンスとリスクが両方あるけど、辞めなければ後悔しか残らない。

2014/10/17

辞めたら最後、もう、いま以上の仕事には一生つけないかもしれない

2014/10/18

大きな不満もないかわりに、大きなやり甲斐もない。自分を誇れない。せめて家族がそばにいたら、このまま目をつむって生きるのもアリかもしれないけど、1人で生きていくなら、ここに留まることは空しいだけ

2014/10/22

周りを納得させる生き方をして、自分が納得できない生き方をしてきたこの5年、果たして幸せだったか?周りが納得しなくても、自分が満足できればそれでいいのでは?自分の人生だ

2014/10/24

とりあえず、仕事やめても生きていける

2014/11/13

辞めたい。希望を感じない。人生を捨てている感じ。

でも、辞めたくない。自立していたい。

2014/11/14

もう、こんなこと続けられない。死んだように生きる、とはこのこと。

2014/11/20

公務員として忙しく1日がおわることは、それなりの充実感を与えてくれる。でもそれが将来につながっていかなければ、積み重ねにならない。この5年間、毎日毎日忙しく働いて、ただ土日を心待ちにして働いて、その結果自分に残ったものは何か?

2014/11/21

いくら努力しても、積み重ねのない努力は残らない。この仕事で、自分の資産となるものをどれくらい積み重ねてこれたのか?

2014/11/22

どの道で、何をするにしても、勉強していくことが必要。どこにいても、自分で生計を立てていける力を身につけないと。

2014/11/23

公務員を辞めて、孤独に耐えられるか?

2014/12/2

雇われの身になりたくない。といって、自分が経営者の器だとも思えない。働き方を抜本的に変えるしかない。子供も持ちたいし、家庭以外にも大切なものを持ちたいし、自立できる資産を持ちたいし、将来的には仕事を通じて社会貢献もしたい。サラリーマンとして、人生の大半を不満と不安で過ごしたくないし、仕事で体や家庭を犠牲にしたくない。

2014/12/17

月曜日、また1週間をさっさとやり過ごして、週末を早く迎えたいと願う。そして土曜は、平日の疲れで体調がすぐれず、日曜は翌週のためにエネルギーを温存して思い切り遊ぶこともない。そうやって、毎日が過ぎて、あっという間に5年経った。

やる気もエネルギーも希望も、自分らしく生きる要素はどこかに無くしてしまった。このままぬるま湯に浸かったように生きて死んだら、絶対に後悔する。自分の人生を精いっぱい楽しんで生きられたら。

2014/12/18

通勤の定期を買うたびに、定期を買うのはこれで最後にしたいといつも思ってきた。定期の有効期限まで何とか頑張ったら、あとは退職するんだと思うことだけが、心の支えだった。入省時に感じた違和感、自分の居場所はここじゃないという直感を、5年経った今日まで、毎日感じてきた。ここが自分の生きる場所だとか、天職だと思えた日は一日もなかった。辞める決断は正しいかどうかわからないけど、少なくとも間違っていないことだけは確信できる。

2014/12/19

人生は短い。自分の人生なんだから、やりたいことをやらなきゃ後悔する。公務員として生きていく未来は容易に想像がつくけど、そういう人生を歩みたいか?こんな風になりたいと憧れる人はいたか?否、あんなふうになりたくないとか、なんであんなにすごい人がこの程度で収まって満足しているんだろうと思ってきた。ここにいたら、それは自分の未来の姿になる。

2015/1/10

なんとかなる。そう思えたらきっと大丈夫。流れに身をまかせつつ、分岐点で命がけで曲がる。死ぬことはみな平等で、こんなに普通のことはない。

2015/1/24

ラクをしたいとは思わない。確実な保証はどこにもないけれど、リスクを自分で負えるかどうか。

2015/3/1

結局、自分の人生の責任は自分でとるしかない。誰かに委ねたら、そのあと自分に起きることをすべて責任転嫁して生きていくしかない。自分以外のコントロールできないものに口を出して、不平不満を言う人生は嫌だ。

2015/3/25

毎日最低8時間、同じ席で同じ人に囲まれていることが苦痛。仕事は集中して何時間でも取り組めるし、興味のあることなら休日返上でも構わないが、同僚の雑談に時間を取られて上司のジョークに気を遣って、神経が擦り減る。雑談も仕事のうち、必要なコミュニケーションだという暗黙のプレッシャーがあり、それをしないと浮く職場。だから合わせているけれど、心底くだらないと思っている。これがあと何十年も続くかと思うと、目の前が真っ暗になる。でも、この場所から動くことが出来なくて辛い。

2015/3/26

やりたいことは自分の中にある。

 

そして現在・・・

こんな風に一進一退で悩んでいたけれど、最終的にこの1年後、私は退職した。

決断に際しては、このメモも少しは役立った。時間が経つと薄れてしまいがちな日々の苦しみの深さや幸福度の低さを、ありありと思い出させてくれた。不安で退職の決意が揺らぎそうになったときも、このままではいけないと、このメモが背中を押してくれた。

いまはまだ理想にはほど遠いけれど、一つ言えることは、もう憂うつな気持ちで朝を迎える日はないということ。退職を後悔することはないし、もっと早く決断すればよかったと思うことさえある。何よりも、今は未来の可能性に向けて、わくわくすること、楽しいと思えることにエネルギーを費やすのに忙しい。希望がある今の暮らしが、公務員時代に望んでいた生き方だと自信をもって言える。

 

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