LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

それは、単なる価値観の違いです。

最近、若者の地方移住に関するブログ記事を多く目にするようになりました。

そんななか、こんな記事を目にしました。

都会の方が刺激的で楽しいという人もいれば、地方でのんびり暮らしたいという人もいる。

要は、どちらが自分に合ってるか、居心地よく暮らせるか、というだけのこと。

とうぜん、この記事についても同じ。彼女の選択に、いいも悪いもありません。人それぞれ。

それなのに、この記事を読んだときの、どうにも腑に落ちないかんじは何だろう? と考えていました。

 

彼女は言います。

自分は「東京でしか、消耗できない」、それは「単に私がダメだから」で、地方に移住できる人は「きっとコミュニケーション能力が高く、柔軟性に優れており、孤独にも強いから可能」なのであって、「コミュ障・寂しがり屋・独り身。三拍子そろった私が地方に行った先にあるのは、消耗ではなく消滅だろう」と。

 

人間は、合わない場所・居心地の悪い場所にずっととどまっていられるほど、我慢づよくはない、と私は思っています。

地方に移住した人は、外的あるいは内的なさまざまな要因によって、あるとき必要に迫られて、変化しなければならなかったのだと思います。

それは才能の有無や人格の優劣じゃなくて、単なる価値観の違いです。

都会好きな人が地方に連れていかれたら、さみしくて退屈で、どうにかして都会に戻ろうとするでしょう。

東京が合わなくて地方に移住する人も、おんなじです。価値を感じる部分が、違うだけなのです。

 

 

これは、地方移住の話に限りません。

転職とか退職、結婚や離婚など、大きな変化を経験した人に対して、あなたは優れた才能があるから、人格者だから、世帯持ちだから、自立しているからできたんでしょう、と言って、相手を称賛したり自分を卑下したりする人がいます

そういう人に出会うと、なんだか苦々しい気持ちになります。

こうしたいなー、と思いながら、でも私には無理だなー、とか思って、

なんとなく日々をやり過ごせるなら、それでいいんです。その程度の思いだってこと。

やり過ごすことができない、今のままじゃ苦しくてしょうがない、自分のアイデンティティが崩壊寸前、そういう切羽詰まった思いが、変化の強い原動力になる。

それは、才能の問題じゃない。その人の価値観とか、アイデンティティの問題だと思うのです。