他人の評価と向き合うこと。
NHK『100分で名著』で、サルトルの実存主義が取り上げられてました。けっこうおもしろかったので、自分なりにイメージできたことをちょこっと整理。
対人関係は「まなざしの闘い」である。
けっして完全には理解し合えない「他者」との関係。
他者に見られることによって自分自身が規定されてしまうこと、自分の評価が他人のものになることを、サルトルは「他有化」と呼んでいます。
他有化は、自分という存在の危機になる。
これは、すごくよくわかります。
私も、周りの目なんかもう気にしない、世の中の常識なんて関係ない、と言いながら、他人の評価を完全に無視できずにいます。そうして他人の言葉に傷ついたり悩んだりしてしまう自分を、まだうまく処理することができません。
それが嫌だからって、引きこもったとしても、他人からの「まなざし」を完全に避けることはできない。サルトルは、他人と共生しながら生きていかなければならない状況を「地獄」と表現しています。
この「地獄」の状況において、人は「他者」とどう向き合ったらよいのか?
サルトルは次の2つの方法を示します。
方法1.まなざしの決闘
自分が、見られる存在から、見る存在になる。
そして他者を裁き返すことで、自分を安定化させる。
このことを、「まなざしの決闘」とサルトルは呼びます。
私は、自分の嫌いなところの一つに「権威者に弱い」ことがあると感じてます。
上司とか先生とか、自分より立場が上の、いわゆる権威のある人と話すとき、どうしても自分が「評価される側である」ことを無意識に感じてしまうクセがあります。
そして、自分の意見を強く主張できなかったりすると、なんで言えなかったかなーと、あとからすごく後悔します。
自分が委縮してしまうような相手に対しても、相手を「裁き返す」気持ちで、同じ土俵に立って話ができるようになりたいものです。
方法2.まなざしの逆転
周りの評価に対抗するのではなく、それを引き受けることを、サルトルは「まなざしの逆転」と呼んでいます。
他人の評価が本当の自分と違っても、いったんそれを引き受けてみる。それに乗っかって、その道を進んでみる。
そうすることで他者のまなざしから自由になれる、というわけです。
この方法は、けっこう難しいですね。
他人の評価を自分のものとして受け入れつつ、その道を主体的に歩んでいく、なんてことができるんでしょうか。
ついでに補足ですが、サルトルはボーヴォワールと内縁関係にあったそうですね。
知らなかった!
しかも、婚姻せずに、お互い浮気OKの「自由恋愛」を生涯貫いたらしい。