LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

茶色弁当の後ろめたい記憶

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「生い立ちに関することで、もっとも後ろめたい記憶は?」

そう聞かれて、パッと頭に浮かんだ記憶の1つ。それは、学生時代に母が作ってくれていたお弁当を、隠れて捨てていたこと。自分の中にひそむ腐った性根みたいなものを、否応なく思い出させる。

 

高校生になって弁当持参になってから、母が作る茶色いお弁当が恥ずかしくて仕方なかった。友達の前で広げて食べるのが嫌で嫌でしょうがなかった。そう思うようになったきっかけはよく覚えていない。友達から「お弁当、茶色いね」と言われたような気もする。冷凍食品なんてほとんど使わずに、毎朝頑張って手作りして持たせてくれていたのに、そんなことより彩りの良い可愛いお弁当にしてほしいと思っていた。希望を母に伝えたこともあったけれど、私が思うようには変わらなかったし、じゃあ自分でやってみる!と台所に立ってみても、隣で母が寂しそうな顔をしているのを見て、母の聖域に口を出してはいけないんだと勝手に諦めてしまった。

そうして、残した弁当を家に持ち帰り、自分の部屋でポリ袋に入れて閉じて、新聞紙にくるんで隠していた。自分の部屋のごみ箱に捨てると気付かれるので、母が台所にいないときを狙って、台所の大きなごみ箱に捨てた。

当時も、本当に悪いことをしている、最低な行いだ、いつか心底後悔する日がくる、と思っていた。隠れてこんな酷いことができてしまう自分が後ろめたかった。お弁当を残している事実を母に知られたら落胆されるのはわかっていたし、残したものを捨てていると知られたら心底傷つけるだろうと思っていた。それでも、友達の目を異常に気にする自分を克服できなくて、何があっても絶対にバレないようビクビクしながら細心の注意を払い、その後ろめたい行為を続けていた。

結局、それは半年くらい続いた。ある日、うっかり捨て忘れたものを母が私の部屋で発見した。母はまず、私の体調を心配した。私はその優しさに乗っかって嘘をついて、その日はそれで済んだ。

でもほどなくして、今度は母が台所のごみ箱から発見した。2度目は、嘘を突き通せなかった。私はすべてを打ち明けて、母は怒りと落胆で体調を崩した。その後のお弁当は以前より少しカラフルになって、少し冷凍食品が増えて、少し量が減った。

 

なぜこんな過去を書き留める気になったかと言うと、ある漫画を読んだからだ。主人公の女の子が、祖母の作る弁当を学校のトイレに毎日捨てている。あまりにショッキングな一コマだけど、当時の自分と重なって居ても経ってもいられなくなる。他人の評価を気にして、寄せられる期待のすべてに応えようとし、体裁を取り繕っては本音を隠す。「私、どこで失敗した?何がいけなかった?」私の本質的な問題点は、今も昔も変わらない。あのときコソコソ弁当を捨てる前に、しなければならないことがあったのだと改めて気づかされる。

(関心のある方は以下をどうぞ。無料で読めます。)

 

余談だが、昨晩、母が生き返る夢を見た。

あまりに現実離れし過ぎていて、夫にも誰にも言えないのでここに書く。蘇った母は、まだ私が小さかった頃の若くて可憐な母なのだけれど、こちら側の人間はみな現実の年を重ねていて、なんとも言えない哀しさだった。母はわずかに姿を見せた後どこかに行ってしまって、私は母を探しながら「お母さーん、お母さーん、ごめんねごめんね」と繰り返し謝って、目が覚めた。また会えた嬉しさと取り返しのつかない現実との間で、ひっそり泣いた朝だった。

 

※冒頭画像:https://unsplash.com/photos/xPHjMxI8zKo