幸せの平準化
結婚して数か月が経った。相変わらずの穏やかな毎日だ。
いま何かのアンケート調査で「あなたは現在、幸せですか?5段階で答えてください」と聞かれたら、この人生で初めて「5.最高に幸せ」を選ぶと思う。
そんななか、最近欠かさず読んでいるブログ*1がある。末期ガンの夫の闘病を支える妻のブログだ。二人は40代の仲良し夫婦で、ささやかな幸せを日々紡いでいたのに、ある日突然地獄に叩き落された。夫の闘病が、これまでの生活のすべてを変える。彼女は、そんな日々を淡々と記している。悲しみも喜びも、悔しさも無力さも、すべて飲み込んで。静かにピンと張り詰めた糸が、今にも切れそうな緊張感がある。正直、読むたびに体が硬直するし、更新が途絶えると胸がざわつく。まるで終末に向かっていく人生の記録のようだ、と思う。彼女の生活は私の人生と直接関係がないけれど、遠くで勝手に胸を痛めたり涙したりしている。
幸福な時は、他人の不幸をうまく受け止められない。彼女のブログを読んでいると、穏やかで幸せな毎日が永遠に続くと思うな、と言われているような気がしてならない。もちろん彼女はそんなこと一言も書いてないし、幸せな時くらい幸福感に浸っていてもいいじゃないかと思ったりもする。
それでも、私は彼女のブログを読むことを止められない。これはたぶん、この幸せな暮らしがいつか突然消えてしまうかもしれない、という漠然とした不安から来ている。現実はともかく、感情面で幸せの平準化をはかろうとしている*2。生と死は、コインの表裏ではなく延長線上にあるものだということを、一時も忘れないために、今日も私は彼女のブログを訪れる。