LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

「営業」はお金儲けの手段ではなく、自分と社会をつなげる根源的なスキルである。

ちきりんさんと木下斉さんのスペシャルトーク生配信「人口減少社会における地方再生」、ものすごく濃密な時間でした。データ作業しながら聞こうと思ったのに、思いついたことをメモしながら聞いてたら、完全に作業そっちのけ。深夜にも関わらず最大で約1600人、エンディングでも700人近いリスナーがいましたが、もっと多くの人に聞いてもらいたい番組でした。特に公務員は全員聞いとくべきじゃないかと。いかにマーケット感覚と逆の発想で仕事してるか、今後「公」として何をすべきなのか、考えることがたくさんある。

いろいろと琴線に触れる内容がたくさんあって、一度には書ききれないのですが、改めて営業のスキル(マーケット感覚)の重要性を再認識しました。とりあえず備忘録的に2点ほどメモ。

若い人が最も身に着けるべきスキルは「営業(=マーケット感覚)」

恥ずかしながら、昔から「営業は自分にとって縁のないもの」と思い込んできました。営業とか商売にはあまり近づかないように距離をとってきた、と言う方が正しいかも。なぜだろう?と考えてみたら、その原因の一つとして父親に思いあたった。

父は大学卒業後、コンピュータ関係の企業に就職し、最初の社員研修でたまたまやった営業で、いきなり高額製品を売って社長表彰を受けてしまったらしい。そのために、もともとSEとして採用されたにもかかわらず「こいつは営業に向いている!」と期待され、営業職に異動。しかし、当の本人は営業が嫌で嫌でたまらず、その後の成績も芳しくない。仕事が辛すぎて耐えきれなくなった父は、入社数か月後に退職。その後は教員になって退職まで勤めあげました。

この頃を思い出して、父はよくこう言いました。「営業は辛くて辛くて生きている心地がしなかった。こんな辛いことを一生やるくらいなら、死んだほうがましだと思った。営業やめて教員になって、本当に良かった。これこそが俺の天職だ」と。

この体験談を数えきれないほど聞かされてきた私は、幼心に「営業というのは、向いている人はいいけど、そうでなければ辛くて生きる価値も感じられないような仕事。それに比べて、教育というのは人生を費やすに値する価値のある仕事。」と感じるようになった。そして、「お金儲けを目的にする営業や商売よりも、お金儲けを目的にしない仕事の方が高等じゃないか」というような、なにもかも履き違えた価値観を(言葉にはしないまでも)持つようになってしまった。

とはいえ、これは視野狭窄な小さいころの思考です。大学に進学してより広い社会を知る機会を持った私は、自分の体験を積み重ねて、自分なりの価値観を持たなければならなかったと思う。

にもかかわらず私は、自分で経験することをせず、自分の頭で考えることもせず、父の体験を鵜呑みにしたまま社会に出てしまった。就職先を考えるときも民間企業それ自体を排除し、「お金儲けを目的にしない」公務員を目指すようになった。我ながら愚かすぎて恥ずかしい。

仕事をするようになって、いろんな働き方を知って、ようやく営業がお金儲けの手段ではないと理解するようになりました。そして営業のスキルは、自分で商売する人や営業部門のサラリーマンだけのものではない。公務員でも教員でも研究者でも、人間が社会と関わって生きていく上で、何をするにも必要な能力であると今は実感しています。今日のトークライブを聞いて改めて、営業は自分の行動と社会をつなげる根源的なスキルであり、誰もが身に着けるべきものであるということを再認識しました。

事業を始める前に、営業を終わらせる

研究活動の関連で、いつか小さくていいから自分で事業を起こしてみたい、という思いがあります。誰かからお金をもらって仕事するんではなく、自分がやるべき!と思う仕事を、自分で創造し、自分でお金を工面して、リスクを負って取り組む、という経験をしてみたい。

新しい事業を始めるときは、まず初期投資のことを考えがちです。そんななか、木下氏の「事業を始める前に営業しろ」という言葉がとても響いた。投資する前に、営業を先に終わらせる。こんな商品があったら、こんなサービスがあったら、自分はこれぐらい払いますよ、という顧客を先に見つける。営業で得たニーズをもとに事業内容を組み立てて、ニーズに見合った規模で事業を展開するという発想。

木下さんいわく「売る人が決まっていないのに、顧客に最適な商品なんてわかるはずがない」し、「物がないと営業できないなんて、センスがなさすぎる」とのこと。商品ありき、サービスありきの発想から抜け出す必要があるということですね。とりわけ今後の人口減少社会では、大きく投資して後で回収するなんて無理ゲーなので、その意味でも費用をかけずに小さく始めて、ニーズに合わせて事業を展開していくやり方はメリットが大きいと感じました。いやー、目から鱗。

 

眠くなってきたので今日はこのへんで。このライブ企画、第2回・第3回と続いていってほしいものです。

冬がくれば思い出す。ぎっくり腰で困ること

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あー。やってしまった…

毎年、冬になると思い出すあの感覚。何気ない動作で前触れなく訪れる「ヒクっ」とした腰が抜けるような感覚。今年もやってきました。

周りからはまだ若いのにー?と言われますが、いえいえ、もう30歳を過ぎました。というか、かれこれ10年くらい、毎年のようにぎっくり腰を繰り返しています。シャワー中にヒクっとなって、びしょ濡れのままお風呂から這って出たあの日。出張中に腰に衝撃が走って、冷や汗をかきながら仕事したあの日。朝ベッドから起き上がろうとしてそのまま動けなくなったあの日。どれも忘れがたい思い出。

私の場合、主な原因は筋肉疲労+筋力低下らしい。病院で痛み止めと消炎テープ(湿布みたいなやつ)をもらって、ひたすら安静にするしかない。痛みがなくなったら筋トレ(腹筋・背筋)して再発予防に努めなければならないのだけど、喉元過ぎればなんとやらで、なかなか続かないまま次の冬を迎えるのです…。

ぎっくり腰で困ること

座ってられない

ぎっくり腰になると前かがみの姿勢がつらくなるので、座っていられなくなります。とはいえ、仕事を休み続けるわけにいかないので、我慢して座ります。すると今度は、立ち上がるのが一苦労。体が折れ曲がった状態で固定されてしまったかのように、上半身を起こすことが難しくなります。痛みをこらえてゆっくり体をまっすぐにしていくと、腰からメリメリと音がするような感覚があります。

寝返りが打てない

痛みがひどいときは、寝ていることしかできないのですが、同じ姿勢で寝ていることもつらくなります。寝返りを打ちたくなったら、ベッドの端につかまってゆっくり体の向きを変えます。意識があるうちはいいけれど、眠ってしまって無意識に寝返りを打ってしまったときの代償は大きく、「ひぃっ!!(泣)」となって夜中に何度も目が覚めることに。

靴下が履けない

前屈の態勢がとれないので、靴下を履いたり、パンツを履いたりすることが難しくなります。家族がいれば助けを求めることができますが、このときほど一人暮らしに絶望することはありません。足先の方に靴下を投げるようにして、うまくひっかかるまで何度もトライします。涙ぐましい長年の努力の結果、今ではだいぶコツを習得しましたが、最初の頃は身支度にとても時間がかかりました。

くしゃみの恐怖

ぎっくり腰のときに最も怖いのは、くしゃみです。避けられるものなら避けたい。鼻がムズムズして来たら、すぐさま鼻を強くつまんでくしゃみを止めます。それでも収まらなかったら臨戦態勢に入ります。ひざを曲げて腰を落とし、両手で腰を固定するようにして(コルセット代わり)、来たるべきそのときを覚悟して待ちます。できるだけ最小限の規模のくしゃみになるよう努めます。

湿布をどこに貼っていいかわからない。全部いたい。

ぎっくり腰になると、炎症部分は痛みで力が入らなくなります。それをカバーするために、腰周辺の筋肉が活躍します。そうすると、だんだん周辺の筋肉が疲れてきて、痛みが出てきます。そのうち背中の方まで痛くなって、それでも我慢して動いていると感覚がなくなってきます。こうなったらもう、横になって体を休めるしかないのですが、仕事中だとそうもいかない。薬を飲んで、消炎テープを張るのですが、そのときにはもうどこが痛いのかよくわかりません。ピンポイントで貼ることは諦めて、空間を埋めるように複数のテープを貼ってしまいます。

治りかけのヒクッ(=再発)

痛みがひいてきて、そろそろ動けるようになってきたなーと思った矢先に、ふたたび何気ない姿勢によって再発することがあります。このときばかりは、もう泣きたい気持ち。そうして、ひと冬に2回、3回と繰り返した年もありました。

まとめ:動きが春日みたいになる

ぎっくり腰になると、俊敏な動きに対応できなくなって、オードリー春日のようにゆったりとした堂々たる動きになります。横断歩道を渡っているときに信号が点滅しても、走ったりしません。偉い人に会っても、急に立ち上がったり、ペコペコお辞儀したりしません。とにかく体の軸をぶらさずに、ゆっくりと歩き、ゆっくりと座り、ゆっくりと落ちた物を拾います。悠然と構えているように見えても、まったく余裕はありませんので、困っている人を見かけたらぜひ手を貸してあげてくださいませ。

死ぬまでにやることリスト

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今日はしこたまお酒を飲みました。とても気持ちがいい酔い方なので、何も思いつかないけどブログ更新。ここのところ、過去のことを振り返ってばっかりだなーと思ったので、今日は将来のことについて頭のなかを整理したいと思います。おなじみの「死ぬまで」リストですが、そういえばこれまで具体的に考えたことがなかったので、この機会に挙げてみました。そしてこれが、思いのほか酒の肴にいいかんじ。さすがに100個は思いつかなくて、今回は60個くらい。今すぐ達成できそうなものもあって、何だかわくわくしてきました。とりあえず今年中に、3~4つくらい達成したいと思います。酔っ払いの戯言とお聞き流しくださいませ。

死ぬまでにやることリスト 

宇宙に行く

南極に行く

オーロラを見る

アウシュビッツ収容所に行く

プラハでオペラを見る

ウィーンにオーケストラを聴きに行く

イースター島に行く

パラオペリリュー島に行く

ケニアのサファリに行く

スペインでサクラダファミリアを見る

ロシアに行く

スイスに行く

ギリシャに行く

トルコに行く

中国で兵馬俑を見る

タイのアンコールワットに行く

ハワイ島に行く

屋久島に行く

軍艦島に上陸する(リベンジ)

クルージングの旅に出る

英語で不自由なくコミュニケーションをとる

海外の主要学会で研究発表する

博士号を取得する

大学教員になる

在外研究に出る

起業する

収入源を2つ以上もつ

中学または高校で教壇に立つ

アメリカに住む

イギリスに住む

フランスに住む

禅寺に修行に行く

四国でお遍路する

フルマラソンに出る

自分で着付けする

お茶会でお点前をする

日常的に着物を着る

ショパン『バラード一番』を弾く

ピアノコンクールに出る

ウッドベースを弾く

ジャズフェスに出る

大型バイクの免許を取る

バイクツーリングで北海道1周する

キューバダイビングをする

スキーを上達させる

競馬に行く乗馬する

バスケサークルに入る

深酒で記憶をなくす体験をする

ピアスの穴を開ける

叔母と二人で温泉に行く

兄の家にお泊まり

義父・義母と旅行に行く

年1回、親と旅行する

家庭菜園で自給自足する

古民家を改修して住む

庭でバーベキューする

ピエールドロンサールを育てる

親の最期を看取る

母親になる

(最低でも)子どもが成人するまでは生きたい

 

※冒頭画像:https://unsplash.com/photos/N6STB5KbRUU

これでもう嘘をつかなくていい

先日、直属の上司に退職意向を伝えたことを書きました。

この数日後、さらに上の上司と面談を行いました。上司は驚いた、という言葉を繰り返しましたが、最終的には口頭で了承してくれました。

退職理由として、ネガティブなことは一切伝えずに、やむを得ない状況が生じたことだけを淡々と説明しました。直属の上司に最初に伝えたときの、せき止められた洪水が一気に放出するような感じとは違って、だいぶ心を落ち着かせて話すことができました。

入省以降、辞めたいという思いを誰にも打ち明けずに、人事面談でも将来の展望を意欲満々で語ってきました。正式に退職願を提出して職場を後にしたとき、これでもう嘘をつかなくていいんだと思ったら、全身の力が抜けていくのを感じました。

提出した退職願の様式は、至極あっさりとしたものです(以下イメージ)。単なる紙切れ1枚に過ぎないけど、こんなに重いものなんだということを、今更ながら骨身に染みて感じています。

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仕事のなにが疲れるのか?

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1月で後期の授業が終わって、ただいま短期集中型のリサーチングアシスタント(RA)として、指導教官の研究室にこもってます。拘束時間は平日AM9時からPM6時、遅い時だとPM8時くらいまでかかるので、自分の研究はそれ以外の時間にやる感じ。博論以外のことに1日じゅう拘束されるのは久しぶりで、そんなことしてる余裕あるのか?とも思いますが、いろいろ勉強にもなるし、長くても3月までなので、まぁいいかなと思ってます。

去年までフルタイムで出勤していた頃は、もっと長い時間、拘束されていたのですが、たいして頭を使わなかった日でも、ものすごい疲れてたなーというのを思い出します。仕事が終わると、ぐったりして気力がすべて失われてしまう感じ。

改めて、なんであんなに疲れてたんだろう?と考えます。というのも、今やってるRAのバイトだって、デスクワークという意味では同じだからです。課題(仕事)を与えられて、その解決方法を自分なりに考えながら作業を進め、上司の承認を得てアウトプットを公表し、完了させる。なのに、RAでは気力が奪われることはない。拘束時間に多少違いがあるとしても、疲労度は天と地ほどの差がある。

この違いを、向き不向きだろうと言ってしまうのは簡単。でも、そう言ってうやむやにしたまま次の仕事を選んでしまったら、再び同じ過ちを犯す可能性があります。「仕事ってのは疲れるもんなんだ」と諦めずに、自分が何に疲労したのか、何がしんどかったのか、きちんと理解しておく必要があると思っています。まだ完全には把握できてませんが、思いついた要因を2つほど。

要因1.アウトプットされない内向きの仕事が多すぎた

公務員時代は、直接アウトプットにつながらない内向きの仕事、すなわち組織内で決裁権者を納得させるためだけの資料作成とか、他部署を動かすためだけの内部資料とか、されてもいない質問や起こってもいないことをあらかじめ想定して作っておく対応集とか、ありとあらゆる「内部資料」の作成が求められました。1のアウトプットを出すために、100の予備資料が存在するといった仕事も経験しました。組織が大きければ大きいほど内部調整が難しくなり、稟議制の過程で内向きの仕事が増えていく実態がありました。

これは公務という仕事柄、公平性や一貫性、正確性を保つためにやむを得ないことだと理解しています。それでも、やっぱりこんなことをしてたんじゃ、いつまでたっても仕事は減らないじゃないか、という思いをぬぐえなかった。何よりも、組織内の調整のため仕事を積み重ねることにやりがいを感じられず、自分が消耗していくのを感じました。

手間と時間をかけるのは、研究活動も同じです。1つの投稿論文の背景に、何十本という既存研究のサーベイランスがあり、何千・何万ものデータ収集や分析があり、多くの研究者とのセッションから得た知見がちりばめられている。

しかし、研究活動におけるインプットは可能な限り、研究成果に生かされる(というか、生かさなければならないと私は思っている)のに対し、公務における内部資料は、アウトプットに直接生かされない(組織外に出してはいけない)ことを前提に作成されるものが多い。いや研究活動だって、大して費用対効果は高くないでしょと言われれば否定しづらいですが、少なくとも研究者の心がけによってアウトプット比率を高めることはできる。どちらの仕事をしたいかは、それこそ「向き不向き」ですが、私には後者の仕事が向いていなかった。それがわかったことも、1つの経験値といえるのかもしれません。

要因2.四六時中、集団の中で仕事するのに気疲れした

もっと単純な理由として、四六時中たくさんの人に囲まれて仕事するのがしんどかった、というのがあります。これまで勤務した職場は、広いフロアに20~30人が机ならべて向かい合って仕事してて、その中で女性職員は私ひとり、という環境がほとんどでした。電話してても、歩いてても、なんか目立つ。気にしなければいいんでしょうけれど、周囲の目が気になる性格上、常に誰かから評価されているような気がして、あちこちに気を遣っては疲れ果てていました。これは職場のせいじゃなくて、自意識過剰な自分の性格のせい。

いま研究室には、教授がいるだけです。したがって、配慮すべき相手は教授だけ。私の意識の1割くらいは教授に向いていて、仕事しながらも、背中についてる目で教授の動きをうかがっています。その対象が1人なら、全然疲れません。

同じことを、以前は職場の上司や同僚など、複数に対して行っていました。思い出してみたら、たぶん8人くらいに常に神経つかってたと思う。気疲れするのも当然だったと思います。これは仕事上、よい影響もありました。上司がバタバタしてたらすかさずサポートに入り、同僚が困っていればさりげなく声をかける。これも他人から見れば、自己満足だったのかもしれませんが。そのせいで自分が疲弊してしまったり、肝心の仕事に集中できなかったら元も子もないですね。

 

以上の要因を踏まえて、今後は①インプットがきちんとアウトプットにつながる仕事で、②個室あるいは少人数で働ける職場環境がある職場、を選びたいなーとぼんやりおもっています。

断捨離した洋服をメルカリで売ったら

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引越しに向けて、まずは洋服の整理を始めました。長ーいこと着倒して、クタクタになったものは迷わず処分。困ったのは、いちども着ないまま、もう年齢的に似合わなくなってしまった服や、コーディネートが難しくて1~2回しか着ていない服。こんまりメソッドで思い切って捨ててしまおうかとも思いましたが、どう考えても新品で気が引ける。今までは古着屋さんにまとめて売り払っていましたが、数十円にしかならないのが少し納得いかない気持ちもあり。試しにネットのオークションサイトで同じ洋服を検索してみたら、けっこう高値で取引されていることがわかりました。そこで、人生初のネット販売に挑戦してみることに。

利用したのは、オークションより簡単な「メルカリ」というフリマアプリ。お金のやりとりも仲介してくれるし、大きなものでなければ匿名配送にすることで買い手と売り手の個人情報が守られるので、いろいろ面倒がなさそう。ネットではトラブルが多いという情報もありましたが、物は試しに、利用者登録してみました。

出品作業って、ちょっと楽しい…

登録後、スマホで出品したい商品の写真を撮影します。最大4枚掲載できるので、壁にかけてみたり、床においてみたり、いろんなバージョンできれいな写真をとるべく悪戦苦闘。色がわかりやすいように、壁に反対色の布をひいたりして、少しでも高値がつくように工夫しました。

その後、商品説明をのせますが、これも丁寧に書いた方が買い手がつきやすいというので、懇切丁寧に洋服の状態やおすすめコーディネートまで書いたりして。

また価格設定は、途中で変更もできるので、最初はあまり妥協せず売りたい価格で設定しました。新品は定価の9割、数回着た服は定価の4割ほどの値段をつけてみました。メルカリでは販売手数料が1割。合わせてA4サイズ(厚さ2.5cm、重さ1kg以内)だと送料が全国一律195円。したがって、実際につけた価格から、販売手数料と送料を差し引いた金額が、販売利益になります。

ここまでの作業が、けっこう楽しい。ドキドキしながら出品すると、掲載と同時に次々「いいね!」マークがつきます。しかし、一向に書い手は現れず、1週間経過。うーん、このままではいかん。

プライシングの発想を転換する

恥ずかしながら、これまでマーケットから遠く離れた世界で仕事してきたせいか、「自分でプライシングをする」という経験をしたことがありませんでした。もちろん、コスト積み上げ方式で「この費用を賄って事業をペイさせるためには、このぐらいの価格が妥当だな」という計算はできるのですが、そうではなくて「誰にとって最も価値があるのか(=誰に売れば最も高く売れるのか)」という観点で考えたことがなかった。

ここで思い出したのが、ちきりんさんの本。

マーケット感覚を身につけよう---「これから何が売れるのか?」わかる人になる5つの方法

①自分にとって、この商品の価値はいくらか?⇒②ほかの誰かにとって、この商品の価値はいくらか?⇒③そのまた別の誰かにとって、この商品の価値はいくらか?⇒④この商品を最も高く評価する人はどのような人たちか?⇒⑤この商品を、誰に向けて売れば、価格は一番高くできるのか?(pp.157)

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コスト積み上げではなく、①から⑤へ発想を転換していって、最も高い価値を感じてくれる人に売るというマーケット発想。

これにヒントを得て、改めて商品説明と価格設定を考えてみることにしました。ターゲットに訴えるため、たとえば仕事着に使えそうなシャツについては、洋服の手入れに時間をかけられない忙しいキャリアウーマンをターゲットに設定し「アイロンがけ不要、洗濯してもシワにならず、形もきれいなまま」といった特徴を目立つように書き加えるなど、工夫してみました。

これが功を奏したのかどうかは不明ですが、その後すぐに出品した3着すべて完売しました。書い手との値下げ交渉もあり、価格は当初の設定より少し下がって、新品は定価の8割、数回着た服は定価の3割ほどで落ち着きました。オークションサイトの相場から見ても、初めてにしてはまぁまぁ高値が付いた方ではないかと思います。

まとめ

古着屋に売ったら数十円にしかならないところ、フリマアプリを利用して少し工夫して出品するだけで、財布に諭吉さんが舞い込んできました。慣れればもっと手間をかけずに作業できると思います。

何よりも(小さなことですが)モノの価値とプライシングについて勉強する機会になったというのが、個人的にとても面白い経験でした。引越で、まだまだ不用品がたくさん出る予定なので、洋服以外にもいろいろ試してみたいと考えています。 

※冒頭画像:https://unsplash.com/photos/Lj1S1_KD61k