公務員時代にストレスだったこと(仕事、休み、人間関係)
最近、ブラック労働とか働き方改革の記事などを見るにつけ、自分が公務員として働いていたときのことをいろいろ断片的に思い出すことがある。
とても不思議で無意味なルール・慣習が多かったなぁと、当時も今も思う。
疑問に思うなら自分はそれをしないという選択肢もあったけれど、当時の私は、その空気に抗して無駄なエネルギーを消耗するくらいなら、あまり考えずに心を閉じて従ってしまおうと思っていた。それくらい些末なこととして自分の中で消化してしまわないと、精神が疲労するのが分かり切っていたから。
あえて「しない」ことを選んだだけなのに、そういう配慮が「できない」人だと思われるのが嫌だ、という世間体を気にするような気持ちもあったかもしれない。
でもそういう、本心とは異なる些細なことを積み重ねるうちに、確実に心が死んでいったのも事実。
そんなことを、思い出しながらポツポツ書いてみようかと思います*1
仕事について
形式的な仕事や内向きの仕事が多かったこと
公務員時代は、直接アウトプットにつながらない内向きの仕事、すなわち組織内で決裁権者を納得させるためだけの形式的な資料作成とか、他部署を動かすためだけの内部資料とか、されてもいない質問や起こってもいないことをあらかじめ想定して作っておく対応集とか、ありとあらゆる「内部資料」の作成が求められた。
組織が大きければ大きいほど内部調整が難しくなり、稟議制の過程で内向きの仕事が増えていく実態があって、1のアウトプットを出すために100の予備資料が存在することもあった。これらのほとんどは、アウトプットに直接生かされない(組織外に出してはいけない)ことを前提に作成されていた。
もちろん公務という仕事柄、公平性や一貫性、正確性を保つためにやむを得ないこともあると、当時は理解しようとしていた。それでも、やっぱりこんなことをしてたんじゃ、いつまでたっても仕事は減らないじゃないか、という思いをぬぐえなかった。
何よりも、組織内の調整のため仕事を積み重ねることにやりがいを感じられず、徒労感ばかりが先立って、自分が消耗していくのを感じる日々だった。
個人として、仕事の成果を残せないこと
大きな組織の中にいると、仕事の成果に社員の名前が入ることはめったにない。ある仕事について自分が社内一詳しくなって、課題解決のための新しい仕組みを作ったり、外部へ発信できる形にまとめあげ、成果をあげたとしても、最後に自分のサインが入ることはほとんどない。それはひとえに、私の成果ではなく会社の成果とされるからである。その代わり、何か問題が生じたら、社会に対して責任をとるのは会社になる。(もちろん私個人も処分されるが、あくまで内部的にということになる)
大学院で修士号を取得してから就職した自分にとって、これは少し違和感を感じる出来事だった。ふつう研究活動では、私が書いた論文には私の名前が入り、その成果も責任も私がとることになる。フリーランスで仕事している人もそうだろう。
でも組織では、自分の名前が入らないことに対する疑問を持つ人はなく、むしろ入らない方が有り難い、入っては困るというような仕事観があった。どこか、みなが自分の責任を回避して、いつでも逃げられるように、まるで他人事のように仕事をしているように見えた。自分の成果物に自分の署名が入り、外部に対して自分がその責任を負うことが当たり前だった私にとって、それは個が埋没していくような虚無感を感じる経験だった。
休みについて
計画的に有給休暇を取得した翌日、「昨日はお休みをいただいて、ありがとうございました」と上司に挨拶して回らなければならなかったこと
突然の有給取得ならば、職場に迷惑がかかっている場合があるので理解できるけれど、事前に申請していた休みの場合でもこういう形式的な慣習があった。さらに、独身の若手だったりすると、遊びに行ったの?リフレッシュできた?などと、コミュニケーションの一環だという顔でプライベートに立ち入られたりして、うんざりだった。
とはいえ、それを無視したり嫌な顔をするようでは、こちらのコミュ力に問題があるように思われるのではと考えてしまい、ヘラヘラ適当に交わしていた。そういう自分にも疲れていたように思う。
昼休みや定時後も、来客対応や電話対応が当たり前とされていたこと
昼休みに来客があったり、電話が鳴ったら、率先して対応すべきと教育された。それは勤務時間終了後も同じで、その分だけ残業を余儀なくされた。一般の方からの問合せにはいついかなる時も対応せねばならないという、この滅私奉公的な空気がとても嫌で、昼休みは職場から離れて外で昼食をとるようにしていた。
仕事で昼食を食べ損ねて、昼過ぎに職場の食堂に行くと「職員がサボっている」と言われること
それでも、やむを得ない事情で昼休みに対応が必要になり、昼休み時間を過ぎてしまうことがあった。午後の業務が始まっている職場で一人食事をするわけにもいかないので、手早く食べて仕事に戻ろうと、やむを得ず職場の食堂などに行くと、外部からランチしに来ている一般の皆さんにジロジロと見られたりして、とても気になった。過去には投書された事例もあるとか。
人間関係について
職場の飲み会を欠席するときは、上司に欠席理由とともに謝罪を伝えなければならない
職場では、定例の飲み会が年に数回以上催される。これを欠席するには相応の理由が必要とされ、特に若手職員の場合は上司がたくさんいるので、その全員の席を回って欠席理由と謝罪を伝えるのが礼儀とされていた。これをしなかった場合、飲み会の翌日に「昨日はなぜ来なかったのか」と冗談めかして詰め寄ってくる上司もいた。業務終了後の飲み会ですら、ほうれんそう(報・連・相)が求められるストレスはなかなかのものだった。
年末の勤務最終日は、帰る直前に上司・同僚すべての席を回って、年末のご挨拶をしなければならなかったこと
年末の勤務最終日に帰るときは、まだ職場に残っている上司・同僚の席を順番に回って、今年もお世話になりましたと年末の御挨拶をしなければならない慣習があった。年始も同様で、最初の勤務日に全員の席を回って、今年もよろしくお願いしますと挨拶を交わさなければならなかった。挨拶される側も、そのつど起立してこれに応えるものだから、なかなか仕事が始まらない。いったい誰得だったのか。
出張前に、いちいち上司に挨拶してから出発しなければならないこと
もともと出張が決まった時点で、前もって上司に出張の概要を伝えてあるのに、なぜか出発前の急いでいるときにも同じことを繰り返さなければならない慣習があった。ちょっと数時間外出して、その日のうちに戻ってくるような出張でも、そうするよう教育された。
来客時のお茶くみを、平気で同僚女性に頼む男性職員がいること
平成の世になってなお、しかも同世代の男性職員に、こういうタイプが複数いたのがとても残念だった。私の方が後輩だったというだけで、役職などは全て同じ条件で採用されているにもかかわらずである。もちろん、どこか済まなそうな顔と、ごめんねありがとうなどの言葉が添えられてはいるものの、このご時世に、しかも若い世代で、これを良しとする価値観を持った人間が同僚なんだな、と心底幻滅した。今なら、変わり者だなぁ、関わらないようにしようと思って終了だけど、入省当時は特に、自分の能力や価値まで同レベルに思われてしまう、貶められてしまう、というような変な仲間意識があったように思う。
書いてるうちに芋づる式で蘇ってきて、なんだか愚痴っぽい感じになってきた。とりあえず今日のところはここまで。
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*1:公務員全体の統一的な慣習ではなく、あくまで私のいた部署での経験です。反対に、公務員だけに限定されない、一般企業にもよくある話が含まれているかもしれません。あしからず。
AIが台頭したら、文系研究者はもういらない?
最近、自分の10年後の姿が具体的にイメージできなくなってきている。
公務員だったころは、隣の席を見れば数年後の自分、隣の隣を見れば5年後、10年後、という具合に、退職までの人生がある程度見えていた。それが良かったかというと、そんなことは全然なくて、公務員を辞めたのはその予測できる未来に心底絶望したからでもある。
そしていまは反対に、予測できない未来の世界から零れ落ちないようにどうすべきか、期待と不安をもって日々考えている。こうなっていたらいいなという願望とか人生計画みたいなものは、もちろんある。でも、10年後にその仕事が存在しているのか、ニーズがあるのか、自分が目指すべき方向がこれでいいのか、考えてしまうことが最近よくある。その要因の1つが、AIの台頭だ。
社会の様々な問題をテクノロジー(AI)で解決できるようになったとき、理系研究者にはそのテクノロジーを進化させていくニーズがあるけれど、文系研究者には何ができるだろうか。文系研究者はいらなくなってしまうのか。そんなことを考えてみたい。
AI時代に、文系研究者に求められること
テクノロジーを活用した先にあるビジョンを明らかにすること
先日のブログにも書いたように、AIがとって代われない仕事は、ビジョンを語ることであり、何を実現したいかというモチベーションを持つことこそが人間の役割である。テクノロジーは私たちの生活を豊かにするが、どういう暮らしを求めるかは、人間の価値観や欲望や幸福度と直結している。これこそが、人文社会科学が長い歴史のなかで考えてきたことである。
数学や科学の問題には、最終的に決まった答えがある。答えに行きつくまでの過程が異なっても、最後には絶対的な答えがある。しかし人文社会科学系が直面してきた問題には、絶対的な答えがない。そこにこそ、AI時代に人文社会科学の生きる道がある。
テクノロジーがどう社会に役立ち、どう生活に影響するのか、わかりやすく説明すること
この社会には、テクノロジーによる変化を受け入れない人々が一定数いるということを忘れてはいけない。テクノロジーを有効活用することによるメリットやリスク管理について、一般向けにわかりやすく粘り強く説明することは必須である。ときに哲学の視点から、文学の視点から、社会学の視点から、経済学の視点から、あるいはこれらを組み合わせて説明することができれば、これは強みである。
Biz/Zineの記事にもこんな言及がある。
「セルフドライビングカーが人を轢き殺した時に誰が責任を取るべきなのか?」「AIを搭載したロボットが人を傷つけた場合にロボットは責任を負うべきなのか?」「どのような条件を備えたときにロボットに意識があると言えるのか?」「AIが音楽を作曲した時に、誰が創造したことになるのか?」 といった議論が話題になっている。私たちはまだ、「意識とは何か?」といった問いに対する答えが得られなくても、別段不便を感じることなく日々の生活を営むことができる。だが、高度な自律性を持つAIやロボットが出現したあかつきには、責任や意識、創造などに関する根源的な問いに誰しも直面せざるを得なくなる。
AI時代に、文系研究者が身に着けるべきこと
AIに関して論じられるだけの知識・情報を更新し続けること
これができる文系研究者はまだ圧倒的に少ない。AIの開発から普及までのすべてを、理系研究者任せにしている現状がある。もちろん各々の専門に対するリスペクトは最低限必要だが、究極的には、文系だから説明要員、理系だから開発要員、というような単純すぎる認知の壁、偏ったすみ分けを乗り越えていく気概がなければならない。
学際領域でAIが抱える問題に対処すること
学際とは、異なる学問分野がまたがって関わり合うことを言う。哲学だけ、経済学だけ、社会学だけ、という専門バカでは対応できない時代が来ている。人文社会科学系学問(ひいては理系も含めて)が有機的に連携し合って、問題解決に当たらなければならない。
翻って自分の状況を客観的に見ると、専門以外の研究者とのつながりが圧倒的に少ない現状がある。他分野・他学部の先生と学会などで一緒になっても、それで終わってしまって、そこから共同プロジェクトを進めるような流れになることはまだ少ない。自分には、攻めの姿勢が足りないんだなぁということを改めて自戒する。
まだまだ考えるべきことがあるけれど、今日のところはここまで。
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公務員を退職して2年、働き方はどう変わったか
公務員を退職して、2年が過ぎた。
その間、働き方はどう変わったか(変わりつつあるか)。
そのメリット・デメリットはどうか。
実際にやってみて、新たにどんな壁にぶつかっているのか。
ここでちょっと整理してみたくなった。
働き方はどう変わったか
非常勤だけど、好きな仕事(研究職)に就いた
個人的な理由で職場と住居が離れていて、常勤で働くならば単身赴任しかないという事情があって、非常勤に甘んじている。とはいえ、家族と一緒に暮らしながら、好きな仕事を好きな時間に進めることができる今の働き方は、それほど悪くないと思っている。
- メリット:好きな仕事だから充実感がある。1つ1つの仕事が自分の実績として積み重ねられ、研究者としてスキルアップできているという実感がある。出勤日以外は、自分の裁量で好きな時間に作業を進めることができる。自由な時間が増え、ノンストレス。職場は、住んでいる場所からは飛行機に乗る距離なので、出勤が旅行感覚で気分転換になってとても良い。
- デメリット:薄給。
- 新たな課題:非常勤の立場に安穏とせず、そろそろ次のステップに進まなければ、このままの給料では暮らしていけない。家から通勤可能な場所に常勤の仕事を見つけたい。
研究活動で培ったスキルを利用して、個人事業主になった
研究活動で身に着けたデータ解析などのスキルを利用して、クラウドサイトから個人で仕事を受注するようになった。最初のうちは実績がないから、コストに見合わない仕事も安く請け負うしかなかったけれど、実績を重ねるにつれて常連で仕事を任せてくれる顧客も現れるようになってきた。3月には、個人事業主として初めての青色申告も経験。
- メリット:どの仕事を、誰と、いつするかを自分で選べるようになった。組織に属さなくても、個人でお金を稼げるという自信がついた。大好きな旅行のスケジューリングがしやすくなり、家族との時間も十分に持てるなど、日々の生活を自分の満足度でアレンジすることができるようになった。
- デメリット:(私が受注できる仕事に関して)そもそも発注が少なく、継続的かつ安定的に稼ぐことができない。月ごとに収入にムラがあり、お小遣い程度の小金を稼ぐことしかできないときも。現状、これだけで食べていくことは困難。
- 今後の課題:少ない発注を待つことしかできず、まったくの受け身状態になっていることが悩み。受注するときは、どうしても他のフリーランサーとの競争になり、結果として買いたたかれる状況になったりもする。与えられた仕事を受けるという仕組みではなく、自ら仕事を創造する仕組みを構築しなければ、一生安く使われ続けるか、いつか仕事がゼロになってしまう。模索中。
大学で専門分野の非常勤講師をすることになった
大学教員になるためには、ある程度の教育歴が必要になる。これまではなかなか非常勤講師としての勤務先が見つからず焦りもあったが、いろいろアピールしてきた結果、運よく国立大と地方私立大で3科目の枠を得ることができた。
- メリット:教員公募に必須の教歴を確保できる。これまでのインプット中心だった研究生活から脱して、アウトプットに重点を置けるようになる。新しい大学で新たなつながりを得ることができ、研究の幅を広げることができる。
- デメリット:現状では特になし。
- 今後の課題:自分が学部生の頃とは、大きく時代が変わっている。基礎理論は不変としても、講義の到達点や大学に通う意義、学ぶべき内容は変わってきている部分がある。公務員からフリーランスになり、紆余曲折を経て教員になった私だからこそ伝えられることは何なのか、日々考えている。
自分をどう運用していくか
そんなわけで、研究・教育・個人事業主という、3つの柱ができつつある。これは、兼業不可だった公務員時代には想像できなかったことだ。本来はこうあるべき、こうしたいと思っていた状態に近づいていることは確かである。
しかし、新たな悩みは尽きない。これら3つの柱を有機的に組合せながら、より個人の活動にシフトしていきたいと思っているものの、現状では3つがそれぞれ別個に存在している状態。
ただ研究をするだけでなく、自ら資金調達するなどしてそれを社会に還元し、学生や他の専門家などと協働して、社会実装するところまでやり切りたい。
そう思うけれど、どこに向かっていくべきかのビジョンが今はまだよく見えていない。インプットばかりで情報メタボになり、アウトプットをしてこなかった代償だと思っている。
堀江貴文・落合洋一「10年後の仕事図鑑」のなかで、ビジョンやモチベーションについてこんな言及がある。(一部要約)
これからは経営者がトップダウン方式で労働力をあてはめる考え方ではなく、労働者=経営者として価値あるものを共に作ろうとする考え方になっていく。
このとき経営者の仕事として、AIがとって代われない仕事は、組織にビジョンを語ることである。AIはある意味で指示待ちであり、何を実現したいかというモチベーションを持つことこそが人間の役割である。そのゴールが与えられれば、あとはAIが立ちどころに処理する。人間は仕事を創る側に立つんだというマインドセットが必要。
モチベーションを価値に落とし込むには、①言語化する能力、②論理力、③思考体力、④世界70億人を相手にすること、⑤経済感覚、⑥世界は人間が回しているという意識、⑦専門性、が重要である。
研究・教育・個人事業の3つ(もしくはそれ以上)を掛け合わせて、それぞれの価値を循環させ、それをお金に換えていくような仕組みをどう作っていくか。自分の持ちうる価値をどう運用していくか。2年経って、それが目下の課題になっている。
日本ではお目にかかれない?バルト三国の穴場スポット4選
バルト三国訪問にあたり、事前に観光スポットを調べていったのですが、いわゆるメジャーどころ以外の穴場スポットで良かったところを、いくつかご紹介します。
1.ウジュピス共和国(リトアニア・ヴィリニュス)
リトアニアに来て初めて知ったのですが、リトアニアのウジュピス地区には、ウジュピス共和国という独立国家があります。といっても、国土がわずか0.6㎢しかなく、ウジュピス地区の芸術家たちが1997年に勝手に独立宣言した、正式には国と認められていない、いわゆるミクロネーションです。大統領も国歌もあり、特に有名なのは各国語に訳されたユニークな憲法です。数か国語に訳されているのですが、日本語訳の掲示がなかったので、勝手に翻訳。*1 フフッと笑ってしまうような条文もあります。
ウジュピス共和国憲法(日本語訳・非公式)
1. 誰もがVilnia川の側に住む権利があり、Vilnia川はその側を流れる権利がある。
2. 誰もがお湯と冬の暖房とタイル張りの屋根で暮らす権利がある。
3. 誰もに死ぬ権利があるが、義務はない。
4. 誰もが過ちを犯す権利がある。
5. 誰もがユニークである権利がある。
6. 誰もに愛する権利がある。
7. 誰もに愛されない権利があるが、必ずしも愛されないわけではない。
8. 誰もが平凡で無名である権利がある。
9. 誰もが遊んで暮らす権利がある。
10.誰もが猫を愛し世話する権利がある。
11.誰もが犬が死ぬまで見守る権利がある。
12.犬は犬として存在する権利がある。
13.猫は飼い主を愛する義務はないが、飼い主の窮地は助けなければならない。
14.ときに誰もが自身の役目を知らずにいる権利がある。
15.誰もに疑う権利があるが、義務はない。
16.誰もが幸せになる権利がある。
17.誰もが不幸になる権利がある。
18.誰もが黙っている権利がある。
19.誰もが信仰を持つ権利がある。
20.暴力をふるう権利は誰にもない。
21.誰もが自分にとって重要でない物事の真価を認める権利がある。
22.誰も永遠を望む権利はない。
23.誰もが理解する権利がある。
24.誰もが何も理解しない権利がある。
25.誰もがいずれかの国籍をもつ権利がある。
26.誰もが誕生日を祝い、また祝わない権利がある。
27.誰もが自分の名前を覚えるべきである。
28.誰もが自分の所有物を共有できる。
29.所有していないものを共有することは誰にもできない。
30.誰もが兄弟、姉妹、両親をもつ権利がある。
31.誰もが自立できる。
32.誰もが自由について責任がある。
33.誰もが泣く権利がある。
34.誰もが誤解される権利がある。
35.他人を有罪とする権利は誰にもない。
36.誰もが個人として存在する権利がある。
37.誰もが権利を持たない権利がある。
38.誰もが恐れない権利がある。
(39. 負けないこと)
(40. 喧嘩しないこと)
(41. 降伏しないこと)最後の3つはモットーであり、権利ではないと主張する者もいる。
これは、Thomas Chepaitis(Uzhupis外務大臣)とRomas Lileikis(Uzhupis大統領)によって1998年7月に書かれたものである。
2.医療史博物館(ラトビア・リガ)
マニアックですが、おすすめの博物館。西洋医学の単純かつ豪快さが、これでもかというくらいシュールに展示されています。
そして、ここでも所々ちりばめられる旧ソ連の鬼畜感…。たとえば生物実験「双頭の犬*2」の展示もありましたが、ゾッとして写真におさめることができませんでした。あとは宇宙実験の展示で、犬に宇宙服を着せてイスに括りつけてる様子とか。
内容も盛りだくさんで見ごたえありますが、とにかくつっこみどころが多すぎて、おなかいっぱいになります。
※こちらの方が詳しい記事を書いてらっしゃいます。
→ラトビア☆リガ パウルス・ストゥラディンシュ医療史博物館|日記
3.猿の宇宙飛行士(ラトビア・リガ)
医療史博物館から中心部に戻る途中、大通りを歩きながらふと横を見てギョッとしました。公園の木々のなかに、高さ12メートルの巨大な猿の像。「サム」という名が付けられた、ロシアの彫刻家の作品だそう。宇宙有人ミッションで生物実験に使われた動物たちへの敬意を表した記念碑とのこと。なんでしょう、このセンス。とにかく日本ではお目にかかれないタイプの記念碑です。
4.ヴィリニュス大学の壁画(リトアニア・ヴィリニュス)
リトアニア最古の大学、名門ヴィリニュス大学。ここもかつては、反ロシア運動の拠点となったことから、1世紀近く閉鎖されていた歴史があります。敷地内には12の中庭があり、有料で美しい大学構内を見て回ることができます。
オススメは、書籍部(↑)とバロック様式の建物にあるフレスコ画(↓)。美しさに見とれていると、鼻をほじってこちらを見ているオジサン発見。どこにいるのか、お探しあれ。
こちらもどうぞ!
*2:詳しく知りたい方はこちらを参照。http://www.imishin.jp/vladimir-demikhov/
バルト三国で最もおすすめ・リトアニアの見どころ6選
はじめに・・・
そもそもなぜバルト三国?という方は、まずこちらを参照。
そして、なぜリトアニアがおすすめ?と思った方は、こちらも参照。
絶対に外せない!リトアニアの見どころ6選
①トラカイ城とその湖畔(ヴィリニュス近郊)
ここは湖に浮かぶ古城で、もちろん城内も美しく見どころがあるのですが、イチ押しポイントは最寄りのバス停から城に向かう湖畔の道が素敵すぎること。至るところに桟橋やボートがあって、水着で日光浴している現地の人や、桟橋に座って水遊びをする家族連れなど、なんというか、幸せを絵に描いたような場所でした。
大切な人と心穏やかに散策するもよし、一人で物思いにふけるのもよし。誰と来ても、この湖畔でゆったりと流れる時間が思い出に残ると思います。
トラカイ城は、首都ヴィリニュスからバスで30~40分程の場所にあります。ヴィリニュス駅からトラカイ行きのミニバスがたくさん出ているので、乗るときにチケット売り場で時間と乗り場を聞いて、間に合うように乗ればOK。バスの運転手に料金1.7ユーロ払って乗車。トラカイのバス停についたら、とにかく湖に出る道を選んで進むこと!所要時間は、少なくとも半日は欲しいところ。
②KGB博物館(ヴィリニュス)
旧ソ連の秘密警察KGBが使用していた建物で、リトアニア人への抑圧の歴史に関する展示のほか、地下の収容所・拷問室などを見ることができます。言語も、宗教も、思想も、信条も、振る舞いも、すべてロシアと同一であることを強制され、それを拒んだり自由を求めれば、捕らえられ拷問され処刑される道が待っていました。
画像左は拷問室の1つで、骨が折れるほど強く体を締め付ける囚人服が展示されています。壁は防音になっていて、叫び声が外に漏れないようになっています。中央は、水責めのための拷問室で、囚人は裸で真ん中の小さな丸い台の上に立たされ、一歩でも踏み外せば冷たい水の中に落ちる構造になっています。右は立ち牢。久しぶりに、アウシュビッツで感じたのと同じ、重い空気を感じた場所でした。
リトアニアは、他国に征服されて激しい言論・思想統制が行われたわけですが、「権力による抑圧」という意味では、他国の政府であろうと自国の政府であろうと同じことで、むしろ自国の政府が統制しようとする方が状況は深刻だな、と最近施行された我が国の法律のことが頭をよぎりました。
③十字架の丘(シャウレイ)
ヨーロッパに何度も観光に行くと、教会やら城跡やら、どこかで見たような風景にだんだん慣れてきてしまいますが、ここは唯一無二の場所。ここもKGB博物館に続き、ロシアの抑圧と関係の深い場所です。
初めてここに十字架が立てられたのは、1831年のロシアに対する蜂起の後と言われていて、ロシアの圧制により処刑・流刑されたリトアニア人たちを悼んで持ち寄られた十字架が、途中旧ソ連軍に撤去されながらも、いまなお増え続けているというもの。
高さ数メートルを超えるような巨大な十字架や、ちょっと個性的なキリスト像、日本語の十字架なんかもありました。私も、売店で小さな十字架を買って祈りを捧げてきました。寒い日だったので、滞在は1時間ほどでしたが、十分見て回ることができました。
最寄りのバス停(ドマンタイ)から十字架の丘までは、けっこう歩きます。温かい日ならよい散歩ですが、私が訪れた日は強風で雨が降ったので、誰かとタクシー相乗りすればよかったなーと思うくらいでした。
④悪魔博物館(カウナス)
マニアックですが、おすすめです。おどろおどろしい博物館を想像して行きましたが、館内は新しく綺麗で、展示物もフフッと笑ってしまうような、ちょっと滑稽でかわいらしい悪魔がたくさんいました。レプリカがあったらほしい!と思うほど。
例えば左は悪魔と人間の祝宴。真ん中は、絵描き(人間)とポージングをするモデル(悪魔)。右は…ダチョウ倶楽部? 人間と悪魔が共存するようなテーマが多くて、ほっこりしました。もちろん、恐ろしい悪魔をご所望の方にはそういう展示もあります。
⑤杉原記念館(カウナス)
リトアニアに行ったら、日本人としてここを逃すわけにはいかないでしょう。カウナス中心部から、緑豊かな丘を越えて、民家を横目に過ぎた小道の先にあります。記念館は小さいですが、日本語ビデオを見たり、展示を見たり、スタッフ(対応してくれた2人のうち、1人は流暢な日本語を話します)とお話しをしたり、いろいろ勉強できます。
寄せ書きを見ると、日本からたくさんの訪問者が来ていることがわかります。バルト三国では日本人をあまり見かけない印象でしたが、この館内では多くの日本人と出会えます。私が訪問したときは、日本からのひとり旅数名のほか、視察旅行の御一行様がいて、館内はごった返していました。
⑥カウナス城(カウナス)
少し時間があったので、旧市街北西部のカウナス城まで、徒歩で足を延ばしてみました。あまり期待していなかったのですが、雰囲気の良いこじんまりした城跡で、お散歩コースに入れるのがおすすめです。あまり見たことのないタイプの独特な城跡で、一言で言うなら、すぐ攻め落とされそうな城という印象。実際に、何度も攻撃を受け破壊されてきたらしく、今残っているのは塔と城壁の一部のみ。
入場料を払って地下に下りると、牢獄として使用されていた頃のギロチンが展示されています。暗い地下室を1人でウロウロ歩いて、台の上に乗れという表示に従ったら、映像(画像左)と声が流れて心臓が止まりそうになりました。城内はせまいですが、階段を上がると見晴らしがよく、のどかで素敵な場所でした。ちなみに、入館料はクレジットカードで支払えませんのであしからず。
バルト三国のなかで特にリトアニアをオススメする理由
そもそもなぜバルト三国?という方は、まずこちらを参照。
三国を実際に訪れてみて、その奥深さに魅了されたのがリトアニアでした。これからバルト三国を訪れる方は、ぜひとも3国のうちリトアニアに多く日程を割いていただきたい!自信を持ってオススメする理由は、次の3つ。
理由①観光地としての層が厚い
小さな国ですが、複数の都市に見どころが散らばっており、少なくとも3都市は訪れる価値があります。ヨーロッパを何度も旅行していて、古城の美しさや教会の荘厳さなど、いわゆる観光地は見飽きてしまった方でも、少し違った景色に出会える国だと思います。観光国としての、層の厚さを感じます。
理由②他の二国にはない独自性がある
もともとリトアニアは、14世紀頃ヨーロッパ最大の国家だったリトアニア大公国の時代があって、それがリトアニア人の誇り。しかし近代、西からはドイツ、東からはロシアに攻め込まれ、旧ソ連に編入されて厳しい抑圧を受けるという激動の時代を経験します。
1990年代に起こった独立運動では、エストニア・ラトビアが「新しい国を作るぞ!」という気運だったのに対し、リトアニアだけは「奪われた自分たちの国を取り戻すぞ!」という、他の二国とは少しニュアンスの違うものでした。だからこそ、自分たちのアイデンティティを取り戻すため、その闘いはより激しいものとなり、受けた傷も深いものになったという印象を受けます。多くのリトアニア人が自由のために闘い、KGBに捕まって拷問・処刑された歴史は、KGB博物館に一部残されています。この歴史的背景からくるリトアニアという国の奥深さは、一言では語りつくせません。
理由③旧共産圏の雰囲気が色濃い
これは人により良し悪しだと思いますが、旧共産圏の雰囲気が色濃く感じられる国だと思います。チェコ・プラハやエストニア・タリンなども旧共産圏ですが、それらは華やかな観光地として完成されており、リトアニアとはまったく雰囲気が異なります。
例えば、杉原千畝記念館があるカウナスという街に入ったときは、壁が崩れて廃墟のようになっている建物や穴だらけの道路がそのまま放置されていたり、壁にたくさん落書きが残されたままになっていました。もちろんメイン通りは綺麗に整備されているのですが、そこから少し小道に入ると、女1人では少し怖いような雰囲気もありました。まだまだ経済が追い付いていない、と感じざるを得ない風景でした。
それでも、華やかな観光地の姿だけではなく、歴史的な背景を学びながら旅をしたい方にとっては、リトアニアを外すべきではないでしょう。 旅は非日常のものだからこそ、普段感じることのできない場所へ足を運ぶ意味があるのではと思います。