LIFE SHIFT

三十歳の原点~LIFE SHIFT~

社会人大学院生の日記。新たな働き方を模索中。

親知らずを抜歯してわかったこと

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年度末に、親知らずをまとめて抜きました。

1本目は既に10年前から姿を現していたのだけれど、抜くの怖い、抜歯後の生活が大変そう、長期のお休みでもあったらそのうち考えよう、とか言ってるうちに3本に増加。そのうち1本が虫歯になってしまい、このたび抜本的に対処することに。

現在、すでに抜歯後2か月が経過しています。痛いとか腫れるといった事前情報はありましたが、抜いてみてわかったことがいくつかあります。ご参考まで。

完全に生えていれば、5秒で抜ける

私の親知らずは計3本。上は、横向きではありましたがすでに完全に生えきっていました。麻酔がかかってから、はい抜くよ~という声がかかって、奥歯にものすごい圧力を感じた5秒後には抜けていました。ほんと一瞬。あんなに怖がってウジウジしていた時間は何だったの。

ちなみに、生えきっていない親知らず(一部が見えているだけの状態)は切開→抜歯→縫合という手順を踏むので、少し時間がかかります。それでもせいぜい10分くらいでした。

抜歯後、数日は口の中が血の味

抜いた2日後まで、血が出てました。特に上の歯は、縫合せずに抜きっぱなしの状態だったので、口の中が血の味で気持ち悪かった。しょっちゅうペッペッと真っ赤な唾を吐いてました。

同じ側なら、まとめて抜ける

初日に左を抜歯し、1週間後に右2本を一気に抜きました。かかった期間は抜糸も含めて2週間弱、計4回の通院で終了。入院もなく、かかりつけの歯科に虫歯治療に行く感じで済みました。日常生活の支障は、食事くらい。

「同じ側なら」というのは、両側を一緒に抜いてしまうと食事に支障をきたしまくるからです。抜歯直後は、痛みと違和感で抜いた側の歯が使いにくいので、もう片方の歯で食事するしかありません。一方を抜いて痛みがひいたころに、もう一方を抜く、というのがおすすめ。そんでもって、どうせ片方使えなくなるんなら、まとめて同じ側の上下抜いちゃった方が効率的です。食事できなくてもいい、なんならこれを機会にダイエット始める、という人は、まとめて4本抜いちゃいましょう。

抜歯後、2か月たっても穴がふさがってない

抜歯後、一番気になったのは、痛みより腫れより何より「食べ物が詰まること」!

現在、抜歯して2か月経ちますが、まだ完全に穴がふさがらず、相変わらず食べ物が詰まります。それでも今は、うがいを激しめにすればとれるようになりました。大変だったのは、抜歯後1ケ月くらいまで。うがいしても全てを取りきれず、なんか残っている感じはするけどよく見えなくて、数日後に食べかすが出てきたときの衝撃ったらありません。あまりの気持ち悪さに、やってはいけないとされる「つま楊枝による除去」に手を出して、口内を血だらけにしてました。ネットでは歯医者で取ってもらえと書いてあるけど、食事するたびに詰まるのに、毎日行くわけにもいかないし。結論から言えば、食べかすが取れなくても、詰まったまま傷が閉じることはないので、「気持ち悪い」ことを我慢すれば、それほど神経質になる必要はないらしい。

抜歯しても、別に顔小さくならない

劇的に小さくなるとは思ってませんでしたけど。少しくらい輪郭がシャープになるかなと淡く期待しておりました。結果、一時的に顔が腫れて大きくなった以外には、何の変化もございませんでした。悪しからず。

 

※冒頭画像:https://unsplash.com/photos/EXuKQaf3Ei8

母と話したい。

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最近、亡くなった母のことをよく思い出す。

私の進路について、母はよく「chai-chanはXX大学に行けるといいね」とか「公務員になれたらいいね」とか「△△省に入省できたら最高だね」とか言って、決して教育ママではなかったけれど、私がみずからそれを目指すように繰り返し柔らかなプレッシャーをかけ、背中を押すのが上手な人だった。結果、私はそのとおりの進路を選んできた。

母は専業主婦だったから、例に漏れず娘には生涯仕事を持ってほしいと望んでいた。私は主婦として生きる母の悔しさや苦悩を見るにつけ、これも例に漏れず母のようにはならないという強い意思を持って生きてきた。

 

公務員を退職して、縁もゆかりもない土地に引っ越してきて1ケ月。

 

最近は毎日、手料理を作っている。凝ったものは作れないけど、栄養のバランスと素材の味を大切にしている。定番のレパートリーが一周してしまって、今日は何にしようかとスーパーで食材を選んでいると、おもむろに母が作っていた料理を思い出す。もう10年以上前の記憶だから、作り方も味もよく覚えていないけど、何となく作っても同じ味になる。

毎晩寝る前に床をモップがけする私を見て、夫は聞く。「十分きれいなのに、どうして毎日モップかけてるの。」むかし、毎日床掃除をする母に「なんで毎日床ばっかり磨いてるの」と文句を言っていた私が、知らず知らず同じことをしている。違う、きれいなのは、毎日きれいにしてるからなの。きれいだから汚れがわかりやすくて掃除しやすいし、まとめて大掃除する必要がなくなるんだよ。あの時は分からなかったことを、今は自分の言葉にして言える。 

母と同じようにはならない、と言った私が、自分の幸せのための選択をした結果、いま母と同じような暮らしをしている。何となく漠然と、今の私を母はどう思うだろうか、と考えることがある。私は母の「△△省に入省できたら最高だね」の、その先の夢を知らない。聞く暇もなかった。退職なんて言ったら、きっと大反対したんだろうな。でも母は私の予想を裏切ることも多かったから、何も言わず応援してくれたかもしれないな。

 

母と話したい。 聞いてほしいこと、聞きたいことがたくさんある。13回忌の今年は、できたら墓前で二人きり、近況報告でもしたい。

 

※冒頭画像:https://unsplash.com/photos/JZwb0Rc2vMA

エネルギーを出し惜しみしてると省エネ癖がつく

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退職を考えていた頃、自分の思いとは別の何かに人生の貴重な時間を消耗させられている感覚があった。本当にやりたいことに人生の時間を使いたい、と切望していた。

いやだいやだ、辞めたい辞めたいとネガティブな気持ちで生きていると、そのことにエネルギーを消耗されないために、ひたすら省エネモードになる。人間関係も煩わしくなって、ひたすら透明人間に徹するようになる。

やりたいことをやるために早く帰りたいから、周囲の雑談に付き合わず黙々と仕事する。上司と意見が食い違ったとき、あんまり頑張ると疲れて自分のやりたいことに支障が出るから、ほどほどのところで妥協する。周囲と協調するより自分一人でやった方が早ければ一人でやってしまう。苦手だなと思う人とは距離をおく。職場の人には本音を言わない。怒ったり落ち込んだり喜んだりするような感情の起伏はメンタルを消耗するので、なるべく平坦な心でいるよう努める。

大切なものに力を発揮するために、そうしてきたのに。

 

今の私は、省エネ癖がついたまま元に戻らない只の腑抜けだ。自分の好きなことにすべての時間を使える、待ちに待ったときなのに。いま出し惜しみしてどうする、と思う。これこそが、問題に真正面から向き合わずに楽な方向へ逃げた過去の代償なのか。

確かに、日々の暮らしは幸せに満ちている。新婚だから当然だ。新居を整えたり、手料理をこしらえたり、そういう専業主婦然とした行いを案外楽しくこなしている。やるべきことが進まなかった日でも、何となく満足した気持ちになってしまう。

でも私は、「私」を休んでいる、と思う。

その日一日、くたくたになるまで自分の心の赴くまま精いっぱい生きたのは、いつだったか。エネルギーが、心の内から湧き出る熱いものが、自分から久しく発せられてないことに気づく。

今日一日をどう生きるか。「これに価値がある」と思うことを積み重ねる以外にない。それを毎日継続するだけだ。わかっている。よくわかっている。

 

 

動き出せば、また新たな変化がある。

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無事に中欧旅行を満喫して帰国し、時差ボケのまま引越をして、新転地でパートナーと合流し、そのまま役所で入籍手続を行い、このたび晴れて妻となりました。退職した喪失感や地元を離れる寂しさを感じる暇もないほど、狙いどおりの(⇒過去記事)目まぐるしい日々でした。

新生活はまだ10日ほどしか経っていないけれど、これまでの疲れが癒えるような穏やかな毎日を過ごしています。今は仕事もないので、(博論作成の合間に)住環境を整え、日々の食事を準備するといったような、いわゆる「専業主婦」然とした振る舞いを思いのほか楽しくやっています。ノンストレスの温室暮らしをしていると、このままでいいかーという気持ちになるかと思いきや、そんなことはなく、やっぱりまた働きたいなとか、次はこんなことがしたいなといった前向きな思いがフツフツと湧いてきます。

そんななか、近隣の大学から、私の専門分野の講義に関して非常勤をやらせてもらえる可能性が出てきました。その一方で、夫が別の大学からオファーを受けて、来年度転任する可能性まで浮上してきました。

人生は本当に変化の連続で、動き出せばそこでまた新たな変化を余儀なくされるものだということを、いま切に実感しています。退職について悩んでいた7年は、今となっては時が止まっていたように感じられるほど。もうあの頃のように、考えすぎて立ち止まって人生の貴重な時間を浪費したくない。とりあえず、変わっていく日々のなかでこの「今」を楽しみ尽くすことが、ここ最近の目標になりつつあります。

 

※冒頭画像:https://unsplash.com/photos/pBaWLWstof4

「好き」を思い出す旅

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中欧旅行の真っ最中だ。

昨秋はじめて海外一人旅でロンドンを訪れたときより、ずいぶんリラックスして日々を過ごしている。思えばあの時は、警戒心むき出しでガチガチに緊張していた。だからこそ無事旅を終えたときに大きな自信になったのだが、ある種のおのぼりさん的な浮ついた精神状態だったことも否めない。今回はどこか日常の一部として日々の出来事を受け止めながら、国内旅行の延長という雰囲気で過ごしている。

今日はチェコからポーランドに向けて国境を越えた。列車移動の最中、ひとり旅だと話し相手もいないので、車窓を見ながらいろんなことを考えてしまう。

改めて、自分は旅が好きだと思う。それはたぶん、変化が好きだからだ。住む場所が変わったり、出会う人が変わったり、食べ物や習慣の変化も含めて、自分の常識と違うことを心から楽しんでいる。旅は、たとえ誰に止められたとしても一生続けたいと思える本当に好きなことだ。それ以外にも、この旅を通して自分の「好き」をいろいろと思い出した。大好きだったのにいつの間にか離れてしまったこと、やりたいと思いながら忙しいのを言い訳にやらずにきたこと、あれもこれも頭に浮かんでくる。

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもがひよわな志にすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

(出典:茨木のり子『自分の感受性くらい』)

この世界には、私の知らないもっとおもしろいことがたくさんある。朝起きたときに、毎日ワクワクしてベッドから出たい。好きなことをして生きていくために、これからどう人生をアレンジしていけばいいのか、旅の間ずっと考えている。

喪失感と向き合わないために、旅に出る

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先週から慌ただしく毎日を過ごしている。年度末は毎年のことだけど、今年は退職という大きな転機なので尚更だ。あえて意識的に、中欧旅行の計画まで詰め込んだ。今は日々こなさなければいけないことを淡々と消化して、疲れ切って眠りについている。送別会や、別れを惜しんで会いに来てくれる人や、それぞれの思いを込めた激励メールには、そのつど心を揺り動かされる。でも、それに浸っている余裕はない。考えすぎる暇がないのは良いことだ。

情けないけれど、特にここ数日、ちょっと気を許したら涙腺が緩むことが度々ある。自分が何者でもなくなる心許なさと真正面から向き合うのが怖い。だから、何も考えないように心を硬くしている。異動内示を見た同僚から連日届くメールも、送信者名だけ確認して、内容はほとんど読んでいない。他人の意見なんか気にしないと言いながら、さまざまな反応に胸がぎゅっと苦しくなる。そんなんじゃだめだと思いながらも、生来の性格はそう簡単に変わらないもの。

この喪失感と向き合わないために、私は旅に出る。退職したその足で、飛行機に乗る。完全なる現実逃避であり、自己防衛の旅でしかない。逃げたところでどうなるものでもないけれど、いま重要なのはタイミングだ。一番きつい時期に、痛みをごまかせればいい。旅行から戻ってきて、引越をして、新しい場所で新しい生活が始まった頃には、この痛みなんかカサブタになって、ウキウキと未来のことしか考えられなくなっているかもしれない。そうであってほしい。

そんな現実逃避の旅を、今回だけは正当化したい。

※冒頭画像:https://unsplash.com/photos/rf6ywHVkrlY